むずかしいとは?/ ノーローン
[ 188] 「むずかしい」って嘆かない努力をしましょう:DESIGN IT! w/LOVE
[引用サイト] http://gitanez.seesaa.net/article/25459622.html
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人間中心のデザインやクリエイティビティを高めるワークスタイル、ユーザビリティ&ユーザーエクスペリエンスのデザイン、認知科学などを中心に、日々考えたことを思いつきベースで綴っているブログ。 一言:2008年2月1日より株式会社イードで、ユーザー・エクスペリエンス、ユーザビリティを対象にしたユーザー中心デザインの調査&コンサルティングを行っています。なお、このブログの内容は私の個人的な見解であり、所属する株式会社イードとは関係ありません。 仕事をしていて、時々、すごく気になることがあります。それは打ち合わせやちょっとした仕事の関連の雑談の際に、他人が「むずかしい」と嘆くのを耳にすることです。これ、なるべく言っちゃダメですよね、と僕は思う。改善するスキル「むずかしい」って口にしちゃうと、それが他人にも伝染しちゃって全体のモチベーションが下がっちゃうことがある。しかも、それを口にした人が本来、そのむずかしさを解決する役目の人だと、まわりは「なんなんだろ?」とこれまたモチベーションが下がる。そのむずかしさをどうにかするアイデアを出し、実行していくのがあなたの仕事でしょ、って感じです。別にそれは今すぐどうにかしてくれって話じゃなくて、「むずかしい」とか嘆いて周囲のモチベーションまで下げることなんかやめて、とにかく「どうにかする」努力をしてくれという話。「どうにかする」過程でそれが実際にはどうにかなっていなくても、それをとがめる人はそんなにいないはず。少なくとも努力してくれていることが見えれば、普通は自分たちの側もモチベーションをあげたくなる。プラスのサイクルが回り始めるわけです。にもかかわらず、「むずかしい」ってすぐに口にして、周囲のモチベーションまで根こそぎ下げてる人が結構多くいる。いやいや。簡単だなんて思ってないから、問題をきちんと定義して、ゴールと改善範囲を決めて、スケジュールを切って、とにかく先に進もうという努力をしてほしいと思うわけです。それは仕事をする上での普通に持っていていいスキルであって、「むずかしい」なんて嘆かなくて済むよう、とっととそのスキルを手に入れてほしいわけです。解決できるかどうかは別のスキルなので問いませんが、少なくとも、うだうだ嘆いているばかりで何もしないよりは、きちんと努力して、運がよければ解決できる場合がある、改善のためのプロジェクトを立てるスキルは身に着けてほしいわけです。会社のせいじゃなくて、あなたたち自身の努力が足りないんですそれと関連したことで、もう1つ。大体、「むずかしい」とかという言葉を周囲への影響を鑑みずに口にする人に限って、これまた、会社の改善命令の決定になにかとケチをつけることがあります。確かに会社の出す改善命令の中には、現場の現状を無視してるんじゃないかと思えるような馬鹿げたものも少なくはありません。その馬鹿げた会社の決定に対して多くの人は、その馬鹿げた部分のダメ出しのモードに入ってしまう。重箱の隅をつつく勢いで決定事項のほころびばかりをあげつらって、いかにそれがダメな決定事項かを証明しようとしたりします。アホか。お前らは! そう感じます。そういう人たちは肝心の部分をあてて見ないようにしてるのでしょうか? 決定事項が目指す方法論は馬鹿げていても、その決定事項の目的はほとんどの場合、間違っていません。会社はなにか問題を見出したからそれを改善しようと何がしかの決定を下しているのであって、そこに問題があるのは事実です。解決法が間違っているように思えても、その間違いをただ指摘したところで、それで何にになるの? それで問題が解決するならそれでいいけど、そんなんじゃ、問題って解決しないよね?たとえ、間違ってたとしても解決に乗り出した会社のほうが僕は、ただ文句ばっかり言ってて何もしようとしないあなたたちより、まともだと思うけど。それに何より忘れちゃいけないのは、たいていの場合、問題解決のための業務命令は、現場がいつまでたっても自分たちで解決しようとしない問題に対して、改善命令を出す場合がほとんどで、それは会社がむしろ現場をサポートしようとしてるわけです。それに文句を言ってどうするの? あなたたちがそもそも力不足あるいは怠惰かのどちらかの原因で処理できてない問題があるから、会社がそこのコストを投じてサポートしようとしてくれてるわけでしょ? あなたたちもしかして本当にアホなの?決定事項で決まった方法論が間違ってると思うなら、自分たちで違う方法論を提案して、こちらの方法でやらせてくださいと言ってみればいいんじゃないでしょうか。あるいはもっといいのは会社の示した方法論にしたがって見ることです。実はその解決方法が間違ってみえるのは、単に現場が現状の文脈でみた客観性を欠いた目で見るから、会社の提示してきた方法が間違ってみえるだけのことが多かったりするので。現場にいるから現場のことがわかっていると思ったら大間違いです。現場にいてわかるのは今の現場のことだけで、未来の現場のことなら、むしろ外からの客観的な目でみたほうがよく見えたりすることがあるわけです。やらされてる感の脱却と、ここまでちょっと厳しいことを書いてきた気もしますが、会社の文句を言ったり、仕事のむずかしさを嘆くヒマがあれば、自分でもっと努力しましょうよと感じますし、自分のためだけを考えたら、絶対にそっちのほうが得です。もちろん、会社によってはそういう努力がむくわれない会社があるのも知っています。また、自分が努力しようと思っている方向性と会社の見ている方向性が、単純に相性だったり、会社とあなたのレベル感の違いで、相容れない場合があることも知っています。そいう場合は確かに僕がここで書いてきたような「努力しようよ」というだけでは解決しないと思います。でも、その場合でも自分の不幸を他人にまで感染させてしまうような言葉を口にしてしまうよりは、むしろ、自分の違う道を探すほうがよいのではないかと思います。さて、上に書いたような場合を除くと、「努力する」ためのスキルを身につけてない人に多く見られるのはやっぱり「やらされてる感」じゃないかと感じます。どうやったら、やらされてるなんて感じられるのか、僕にしてみれば、そっちのほうがよくわかりませんが、そう感じるのはもしかしたら自分はこんなことをする人じゃないとかいううぬぼれがあるんですか? 大して肥えた舌ももたないくせに差し出された料理を選り好みしてるわけですか?あるいは単に面倒なだけ? それなら僕もいちお納得。でも、それも面倒じゃない方法を自分で生み出せばいいって話ですよね。それを考えようとしないから「やらされてる感」を感じるんじゃないですか? だって、自分で考え出しためんどくさくない方法を用いるなら、それは「やらされてる」わけじゃなくて、自分で選択して「やってる」わけですから。ひとことで言えば「甘えだよね」で終わっちゃうんですが、僕はそういう風に簡潔に書くより、うだうだ物事を複雑に書くほうが好きなので、さらにうだうだと続けます。「やらされてる感」で仕事をしているように見える人に、「何がやりたいの?」と聞くと、たいていはやりたいことを答えられなかったり、いまの仕事やその人のスキルとはまったく無関係な、たぶん、その人がいま関心を示しているだけの夢見がちな答えが返ってきたりします。「脳に興味がある」とか、「マーケティングをやりたい」とか。脳科学者にでもなるの? じゃあ、必死で勉強したり、大学にはいる準備とかすれば。 マーケティングをやりたい? じゃあ、月に最低5、6冊くらいはマーケティングや経営、ブランディングだとかの本を読み続けて、かつ、マーケティングに関連するブログを1日3本くらい書き続けるのを、最低1年くらいは続けてみれば。でも、そういうことやらないよね? なんで? 言ってること、おかしくね?単に世界は複雑に絡み合ってるだけそこまで突拍子のないことのほうがよっぽど辛いし、たぶん、続けるには無理があることです。昔、ちょっと書きましたが訓練として続けることが可能なのは、実際に続けられる範囲内で、その限度をすこしずつあげていくことです。(参照:「ブログを書くことはスポーツをすることと同じだ」)それも「努力する」スキルだと思います。「やらされてる感」を脱却しようと思うなら、いま目の前にある仕事が自分の将来(それほど遠い将来である必要はありません!)の何の役に立つかを想像してみることです。もちろん、そのためには自分の将来のやりたいことが見えてないと想像できませんよね。だから、将来のやりたいことをきちんと思い浮かべるんです。となると、将来何をやりたいかというと、答えが出せない人が多いと思いますから、次に、もしくは、次の次に何をやりたいかぐらいの近い将来を思い浮かべるほうがいいと思います。あるいは、もっと単純なことをいうと、目の前の仕事がどうなれば、すこしは自分が「やりたくない」ことから遠ざかり、「やりたい」ことに近づくかを考えてみてください。目の前の仕事がどうすればよくなるのか?です。あれ、これって仕事の改善?たぶん、そうです。あなたが欠いているのは複雑に絡まった現実の糸を解きほぐして整理して、自分が理解できるようマッピングする力です。あなたは単に自分中心で回っている世界がこんがらがって、自分に不利な状況で回っているように感じてしまっているだけです。還元主義者のような目で個別要素をいくらほじくりまわしてみても、そこには何もありません。たまねぎの皮をむき続けるサルのようなものです。事実はそこにはなく複雑に絡まって見える世界のネットワークの関係性そしてそれが示す法則性にこそ潜んでます。夢見てないで、現実のネットワークを研ぎほぐす目を身につけましょう。関連エントリーブログを書くことはスポーツをすることと同じだ「私にしかできない仕事というのは組織では幻想」というのは幻想管理と自由May the Force be with you タグ:仕事 改善 現場 「プロジェクト×」や、営業の論理ですね。「営業が赤字案件を取ってきました。開発の人はなぜ難しいのか、営業の見積もりミスに反論したりせずに、馬車馬のようにただ黙々と働けばいいんです。」 > 「営業が赤字案件を取ってきました。開発の人はなぜ難しいのか、営業の見積もりミスに反論したりせずに、馬車馬のようにただ黙々と働けばいいんです。」「取ってきた」段階では「赤字」ではないのに「赤字案件を取ってきた」とか「見積もりミス」等と簡単に言ってしまう人たちこそ「カイゼン」すべきではないでしょうか?「赤字」にならずに案件の落しどころを検討する、とか、これまでの自分たちのやり方と違うやり方で赤字にならない方法を考えるとか。> これ、なるべく言っちゃダメですよね、と僕は思う。そう、なるべく、というか簡単に判断して口に出しちゃだめだと思います。少なくともちゃんと考えたり工夫する努力をしてから口に出せ、と。> 開発の人はなぜ難しいのか↑ここだ、どこにかかるのか(日本語として)わかんない。 想定してませんでしたが、いろいろなケースがありますね。「むずかしい」って口にすることすべてがダメだとは思いません。相手に伝えることを目的とした「むずかしい」なら有益ではないでしょうか。僕がダメだと思ったのは単なる愚痴レベルに近い「むずかしい」です。 相変わらず制作側とか実装側の立場を考えていない意見ですので。>決定事項の目的はほとんどの場合、間違っていません なんでコメントくれてる皆さんと噛み合わないか、いまわかりました。僕がこのエントリーで思い浮かべてたの社内の業務改善プロジェクトでした。あともう一つはノー残業デーに関するもの。なので営業と開発っていう関係より、会社の決定と一般社員みたいな関係を想定してたわけです。あいまいな書き方でうまく伝わらない部分ができてしまったようですね。ごめんなさい。 ノー残業デー。非常に社員想いの良い方針だとは思うけれど、負荷のかかっている人達にそれを守らせるのは無理な話。結局帰れる人は帰るし、帰れない人は帰らない。 ノー残業デーって常日頃の残業は当然だけどせめて週1くらい無しにしてやろうってことでしょ。その代わりその日の分はどっかでなんとかしておけよって本人任せで。どこが社員想い? 経営の不確実性が高く、社内教育放棄が跋扈する中で、こういう�紊�らモノをいって煽る論調は感心できないね 煽ったつもりはなく、ひとりひとりが自覚をもって頑張ってくれればと思って書きましたが、そのような論調と感じてしまわれたのであれば、申し訳ありません。書き方がまずかったですね。 こういうことを書くヤツは何で自己矛盾に気づかないのだろうか。人の怠惰も含めてコントロールできないのはお前の責任だろ。「難しいと嘆くな」とおまえは投げているようにしか見えん。 |
[ 189] サヨナナ: 個人サイトってむずかしいっすね
[引用サイト] http://replica-love.jp/sayonana/archives/000674.html
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当時俺のサイトを見てくれるのは、インターネットで出会った知り合いだけだったんだよね。散々通ってたウェブチャットのおしゃべり仲間とか。インターネット麻雀「東風荘」のマージャン仲間とか。日記ランキングサイトで競い合ってる仲間とか。見てる人が誰なのかだいたいわかっちゃう感じ。こっちも読む人のことを思い浮かべて書いてたりしてるわけで。 「個人サイトに訪れる」ってのはそのまま「人づきあい」だったよ。友達の○○さんが何か書いたなら見に行かなくちゃ、ってのが来訪の主たる動機だった。だいたいはDIARYとBBSだけチェックしておけばいいんだけど、たまに別のコンテンツも更新されてたりして、そういう時は更新を見逃してしまいがち。そうするとチャット仲間との話題についていけなかったり、あるいは運営するその友人に申し訳ないような気持ちになったり。だからマメに来訪してチェックするんだけど、別にそれは苦痛じゃなかった。更新された部分を読むのはそのまま、友人のことをさらに深く知ることだったから。ネットで出会った友人の色んなことを知るってだけで、人間関係が広がるだけでエキサイティングだった。 だから「更新情報」なんてコンテンツを作ったりね。どこを更新したか見てすぐわかるようにしておいた方が親切でしょ。サイト内全部一通りチェックしてもらってひとつも更新してなかった、って落胆させるのは申し訳ないから。訪れてくれた人に少しでも楽に回ってもらえるように。当時は更新された差分をチェックしてくれるアンテナサイトなんてなかったから。 表紙置いていろんなコンテンツのページ作って、思いつくままにあっちこっち更新してたあの頃。古式ゆかしい、まさに「ホームページ」って感じのサイトってこんな感じだったよね。 そのうちブログ化が進むんだよね。もちろんそれは現在のブログ隆盛に直結してるんだけど、古式ゆかしいホームページと現在のブログブームの中間に、まさに過渡期の個人サイトがあったんだよね。表紙をなくして、トップページにだいたいのコンテンツが埋め込まれてて、メインテキストに音楽のことも旅行のことも写真もイラストも全部更新して、まとまると過去ログページに移動して……みたいなことを手動でやってた時代が。無理に名前をつけるとすると「ホームページ」と「ブログ」の中間の……やっぱり「個人サイト」ってことになっちゃうかな。今、「個人サイト」も「ホームページ」もすごく減ったもんね。ブログのせいで。 そのぐらいから、単純に日々自分の思ったことをつれづれ書き連ねるだけだと何だかカッコつかないような気がしてきて、ニュースを拾ってきて論じてみたりしてた。まあ全く何もないところから文章をひねり出すよりも、クリップしてきたニュースにコメント付けたほうが楽だって気がついたってのもあるけど。クリップサイトで重宝されてる上に面白いトコなんて、本当に数少ないのに。 提供するのが日記じゃなくて情報に変わっていって、そしたら読者も変わっていった。ウェブ日記読んで喜んでくれるのは基本的にお友達だけだもんね。内輪以外にも面白い、文章として楽しめる日記が書ける人もこれまたほんの一握りしかいないわけで。 ……ってここまで書いてみて我に返った。俺ってば、個人サイトの歴史について書きたかったんだっけ? そういうのはばるぼらさんが何年も前にキッチリやってるじゃん。俺の見てた狭い範囲の出来事をうろ覚えの状態でたどたどしく書き散らしてもしょーがないじゃんね。失礼しました。 俺(実験4号)って人の書く文章を読みたいって言ってくれる方を信じて、何でもかんでも書いてそのままぶつけるって時代は終わったのかな、って気がしてるの。読者がセレクトできるように、書くジャンルごとに発表する場所を変えるべきなんじゃないか、って。昔だったら読んでくれるのは友人だけだったから「これが全部、俺だ! 恥ずかしいけど俺の全てだ(ドーン!)」って感じで何もかもぶつければ良かったんだけど、そういうのはもう、ソーシャルネットワーキングサービスにまかせちゃえばいいんじゃないかな、って思ってて。 だから俺、昔やってた「とにかくそれなりの長さの文章にするために、小さな思い付きを無理に引き伸ばす」ってことをやめてユルスを始めて、気持ち悪いアイドルの話は別の場所でひっそり書くことにして、それ以外のことをこのサヨナナで書くことにしたんだよね。サイトを複数持つのもやむなし、というか。 古式ゆかしい「ホームページ」が内容によっていろんなコーナーに分かれてたのが、「個人サイト」の時代で集約型に変わって行ったのに、ブログの時代になってまた分散することになっちゃったっていう。その理由が「読者が仲間から特定カテゴリの情報を求める人に変わったから」ってことだから、だと思うんだけど……どうかな? しかも最近さ、音楽に関して批評まがいのこと書いても自分がつらくなるだけなんでそれやめて、ビデオクリップに関して書いたものをしばらくして読み返したらあんまり酷かったのでそれもやめて、泣き言恨み言は読んでる人がつらいだろうからそれもやめて……ってやってたらサヨナナで書くことが極端に減っちゃったの! す、すみません!(誰に謝ってるんだ俺!) 書くことがなくなっちゃった、ウェブ用に書きたいようなことは書き尽くしちゃったって感覚は、正直ある。昔みたいに「1日1コラム」みたいなことはもうできないと思う。 この前、裕木奈江の話になって、それがいじめの構図なんだっていう内容で文章書いたなと思ってサヨナナの中検索したんだけど、見つからなかったの。前のサイト用に書いた文章で、その上でハードディスククラッシュで失っちゃった文章なんだよね。でもどんな論旨だったかはだいたい覚えてるつもりだし、その意見は今も変わってない。だから、そういうのはもう一度書いてもいいのかな、って気がしてる。 でもさ、なんというか、コストパフォーマンスが低く感じちゃうんだよなぁ。このサヨナナの中にも、昔書いたけど今読んでも面白いはずのそれなりのコラム、いくつも埋まってると思うのね。でもそれが掘り返されることってほとんどないわけじゃない? 誰かがやってくれるわけじゃないから。勿体ないって思うんだったら、自分で掘り起こさないとダメってことですよね。 発表してしばらくしたら人目に触れなくなっちゃうけど、「まだ読んでない人には是非読んで欲しい、最近の文章は面白くないけどコレとコレとコレは結構イケてるんだ!」みたいに思うものもあるじゃない? 鮮度にあまり依存しない文章を、発表時期に関わらず多くの人に読んでもらえる工夫ってないのかなぁ? 最近流行のナントカ2.0ってやつの技術でなんとかならんのか、とか思ってるんですけど。 ひどい支離滅裂な文章ですね。とにかくまあ、時代も変わって、俺もいろいろ考えがとッ散らかっていて、おかげでこんな更新頻度なんですっていう言い訳でございます。 だから最近、文章(コラム)じゃなくてネットラジオでいいじゃんって気になってきました。今週末、MOK Radioの3周年記念・50回記念スペシャルやります(※訂正。60回記念でした)。聴いて下さい。一人ネットラジオもそのうち始めます。これからは、その日聴いてその日感じて、ぱっと消えて無くなって当たり前のコンテンツの提供ってやつを、面白がってみようと思ってます。うん、そうしよう。 そんな感じでオシマイ。無計画な長文でホントすみません。全部インターネットのせい……ってこたないですね。俺のせいです。 >まだ読んでない人には是非読んで欲しい、最近の文章は面白くないけどコレとコレとコレは結構イケてるんだ! |
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