相容れないとは?/ ノーローン
[ 516] arai blog: 世の中には相容れない主張というものがある
[引用サイト] http://www.moodindigo.org/blog/archives/000209.html
この人は一貫して理知的な文章を書いている、やや言葉使いが厳しいようにもおもうけれど、感情的であるわけでもないし、偏見や独断を避けようとしていることも感じ取れる。けれども、私がここ数ヶ月で訪れたサイトのなかで、これほどまでに受け入れられない主張を繰り返しているサイトはほかにない。 的確に反論や、私なりの主張を行いたいとおもうのだけれど、どうしても感情的になってしまうこと、力不足のことがあり、いかんともしがたい。ああ、本当に感情的に掻き乱される。 これがいわゆる国粋主義者のような発言や、単なる感情論であればステレオタイプとして一蹴することもできるのだろうが、全く新しく耳にする主張であるだけに、ひどく心を乱される。 なぜ心を乱されるのかといえば、この人が集団や組織の和や力を重視していて、その外にいる人間を排除しようとするからだろう。これは先の人質事件と同じ構図。こういう問題にたいして私は感情的な思いが強すぎて、冷静に語ることができない。 先のサイトにはコメントを書いてみたのだけれども、全く意図を理解してもらえなかった。とにかく「組織や専門家集団に安住し、迷惑をかけるな」とか、「実名、ようするに社会や集団での立場、というものを担保にとらなければ対話できない」などという立場は本当に本当にきわめて社会にとって有害であって、それを広めるのはよくないとおもう。 黒木さんのいう自己紹介主義は、自分の個人としてのアイデンティティを明らかにすることで、責任ある発言を促すというものであり、私も良い案だとおもっています。しかし、所属などを明らかにさせて、その組織や肩書きなどの信頼性を尺度としたり、その社会的立場を担保に取るというのは(やむをえない場面があるとしても)恥ずべきこととして可能な範囲で慎むべきです。 担保については「実名と認める基準」を主に念頭に言われていると思うのですが、この方は「そういう(学校とか所属とかの)認証方法しか知らない」だけなんじゃないかと。 これからもっと“良い”(問題が少なく「安心」を確認できる)方法が出てくるか、それを知っている人が教えてあげるというのもいいかなと思います。 この方の安心への希求性の高さは明示してありますし、「読み飛ばされないシッカリした意見(または構成力)の方の言うことだから影響力が高い」ことからの「それ違うだろ」的場合の不安は判りますが、健全なコメントもついてますし、「あなたはそうなのね」で流せる範疇だな、というのが感想です。 taniseさんも書かれてありますが、件の方は「肩書きでしか相手の能力・資質を判断できない」と自ら告白されているようです。 また、[匿名のかたへの批判・反論はしません] にて「自分自身の弱さから、匿名の人と対等に議論を続けられなくなること」と書いてありますから、仲良し(自分に好意を持っている)の人としか話はしないという懐の狭さをまた自ら告白しています。 また、こんな明示的に書かなくても黙っておけばいいことを、わざわざ丁寧に書いてしまうようないい訳めいたところが、バランス感覚が悪いというか、世間から浮いている感じがします。(世間ずれしたところは自分にも思い当たることがありますが・・・) 論理的に見えるがノイズの多い単なる「イチブログ」に過ぎないのではないかと思います。と、やっぱりtaniseさんと同じ結論ですみません。 なるほど、ありがとうございます。言われてみれば、それほど一般的に広がる意見でもないかもしれませんね。ちょっとほっとしました。 こうした実名主義で逆に心配なのは、「実名」を表記することが、「所属や組織での立場」を人質(担保)として提供することだという感じかたですね。そんなふうに思っていたら、よけい実名の人が減ると思うんですけどね。 再会する度に「今、どこで何してるの?」が普通の挨拶であるような業界にいると、「所属や組織での立場」にいかほどの意味があるのか、理解し難いですわな。 そういう業界では実名を出すことで担保になるのは、「自分の名前でやった仕事実績」であるとも言えます。でもそれなら別に悪いことではないような。 たしかに私も三年と同じ職場にいたことがありません。そういう業界と、もっとかっちりした業界では考え方がだいぶ違うものでしょうね。 |
[ 517] それがたまるか!!: 原子力政策は憲法と相容れない
[引用サイト] http://geki1015.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_90da.html
ひきつづき「高知県・核廃棄物拒否条例」請願署名運動中!! みんなの力で再処理を止め、原子力依存をやめましょう。 (第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。) また、M6.8の地震では本来あってはならないはずの「想定最大の揺れ」をも超える揺れにも襲われていた。 あってはならない事態を起こしたにもかかわらず、原発は依然として廃炉になっていない。そのうえ、このようなデタラメ想定は柏崎刈羽原発に限ったことでもなかった。 今現在、原発の何倍もの使用済燃料を貯蔵し、それを切り刻む「再処理」を行っている六ヶ所再処理工場は、その敷地に断層をかかえ、沖合には大きな地震を起こすプレート境界と、海底活断層が控えている。いずれも、何時大地震を起こしても不思議ではない。 昨今、「●●偽装」が一種の流行りのごとく報道されているが、なぜかこの「原子力(核)耐震偽装」だけはほとんど取り上げられることはない。 原子力施設の設置に伴う地盤、地質、地震想定については、過去に多くの人々が異議を唱えてきた。しかし「国策」の前に、それらの声は無視された。 今頃になって「新しい発見」でもあるかのごとく、活断層の評価が変えられているが、建設当時に正当な評価がされていたならば、そこには原子力施設など作ることは出来なかったであろう。 消されたり値切られた断層、起こらないことにされた地震、軟弱な地盤なのに「強固な岩盤」挙げ句の果ては「人工岩盤」つまり自然の岩盤が悪すぎるから岩盤そのものを作り直したのだ。 繰り返されてきた偽装は、残念ながら本物の地震により脆くも崩れた。幸い大量放射能放出には至らなかったが、そうなっていてもおかしくなかった。 いや、そのような事態を引き起こしてしまったならば、その過程で私たちは憲法の求める「不断の努力」を怠った結果として、責任を問われるのである。 (第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない) 現在、日本中で55基の原発と、原発よりも破壊力の大きな「もんじゅ」といくつかの研究炉そして原発からの使用済燃料を集めて再処理を行っている六ヶ所と東海再処理工場などの原子力施設は、たとえば地震により破壊される危険性が高まっている今、運転停止、廃炉への「不断の努力」を怠ることはできない。原発を廃止へ! 原子力発電は地震大国日本では無理 (けんちゃんの吠えるウォッチングーどこでもコミュニティ双方向サイト) 米海軍イージス艦宿毛湾港寄港に反対する5・16集会抗議に参加 (けんちゃんの吠えるウォッチングーどこでもコミュニティ双方向サイト) |
[ 518] 相容れない人と分かり合う術:NBonline(日経ビジネス オンライン)
[引用サイト] http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20061016/111769/
先日、ニューヨークで国連総会が開催された。ニューヨーク市民は交通渋滞の激しさで、総会が開催されていることを実感する。各国首脳が演説し、その要旨、抜粋が報道されたが、そこに私が持った印象は、「各国の首脳は、恐ろしいほどコミュニケーション能力が不足している」ということだった。 どこの国の首脳も自己主張をとうとうと述べていた。その主張の中には、聞く立場によって評価は変わるだろうが、同意できる意見もあれば、全く相容れないものもあった。例えばイランのアハマディネジャド大統領の演説では、私は「本心なのか」と疑いを持つ部分もあれば、「その通り」と賛同する主張があった。 前者の例としては「イスラエルを抹殺せよ」と言ってきた人が「ユダヤ人を好きだ」と言っても信じられない。後者の例は「安全保障理事会をいまだに第2次大戦戦勝国で牛耳っているのはおかしい」という意見だ。イランと米国は現在、イランの核開発を巡って敵対している。イランのアハマディネジャド大統領と米国のブッシュ大統領がすべてにおいて意見が異なるとは思えないが、現時点で両者の間にコミュニケーションは成立していない。 イラン・米国両国に限らず国連演説で徹底して欠けていたと思うのは、相手に対して「ところであなたはどう思うのか」と問いかける姿勢と、「あなたと合意できることはこれで、合意できない点はこれになる。それでは後者は、今後どのようにしていくべきか」と解決策を一緒に考えようとする姿勢だ。そこには外務官僚の技量をあれこれ言うたぐいのものではなく、国を代表する首脳自身のコミュニケーション能力が問題になる。 「異文化間コミュニケーション」は、非常に難しい課題である。私が「異文化間コミュニケーション」という言葉を聞いたのは1970年代、早稲田大学の学生だった頃だ。早大にはこの学科がなかったので、国際基督教大学の斉藤美津子、ジョン・コンドン、エド・スチュワートの3先生をお訪ねし、個人的にご指導を仰いだ。 先生方は他大学の学生である私にも気持ちよくご教授をして下さり、学会などにも連れて行っていただいた。それ以来この言葉に興味を持ち続け、現在の仕事もその延長でしている。我々の仕事のほとんどは国境をまたがる取引で、絶えず異文化間のコミュニケーションギャップを越える努力を要する。 大学時代を含めれば35年くらいこうしたことを仕事にしているが、それでもいまだにコミュニケーションが問題で仕事をしくじる。最近も15カ月間かけて努力してきた案件が、最後の山場でコミュニケーションが成立せず、一方が「下りた」と言って崩壊した。自分の非力を嘆いたところで、いったん壊れたものは「覆水盆に返らず」である。 日米の巨大金融機関で勤務した後に、顧客と投資家と投資銀行家の3者の利害が一致する投資銀行を実現したいと一人で投資銀行を設立した筆者。日米の企業風土や人生の価値観などを指摘する。 1953年東京都生まれ。小学校時代をタイで過ごし、75年早稲田大学政経学部経済学科卒業後、住友銀行入行。ブラジル・ミナス・ジェライス連邦大学留学を経て、84年ゴールドマン・サックス証券に移籍。92年に日本人では初めて米国で投資銀行の「ミタニ&カンパニー・インク」を設立、95年に「ロバーツ・ミタニLLC」に社名変更。米国在住。著書に『ニューヨーク流 たった5人の「大きな会社」』(亜紀書房)。これまでに大阪府海外アドバイザー、フランス国立ポンゼショセ大学国際経営大学院客員教授などを兼務。 日米の巨大金融機関で勤務した後に、顧客と投資家と投資銀行家の3者の利害が一致する投資銀行を実現したいと一人で投資銀行を設立した筆者。日米の企業風土や人生の価値観などを指摘する。 1953年東京都生まれ。小学校時代をタイで過ごし、75年早稲田大学政経学部経済学科卒業後、住友銀行入行。ブラジル・ミナス・ジェライス連邦大学留学を経て、84年ゴールドマン・サックス証券に移籍。92年に日本人では初めて米国で投資銀行の「ミタニ&カンパニー・インク」を設立、95年に「ロバーツ・ミタニLLC」に社名変更。米国在住。著書に『ニューヨーク流 たった5人の「大きな会社」』(亜紀書房)。これまでに大阪府海外アドバイザー、フランス国立ポンゼショセ大学国際経営大学院客員教授などを兼務。 |
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