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[ 529] ヒットコンテンツブログ
[引用サイト]  http://www.yshouse.jp/

今年の2月、DPHP4BPの研修で、毎日曜日にアキバに行っていたときに花盛りだったものが、最近、警察等の規制によって姿を消しているそうだ。その原因となったのが、エスカレートしたパフォーマンス。私も一度TVで見たことがあるが、自称グラビアアイドルが、自分の下着を露出させてカメラ小僧ならぬカメラオタクたちに写真を取らせているパフォ−マンス。ちょっと行き過ぎだなあとは思っていた。彼女は販促行為としてそれをやっているという。要は客引きだ。
それらの苦情やらなにやらでの警察や町会のパトロールとなったらしい。6月1日の朝日新聞経済コラム「補助線」より。
このコラムの趣旨は、日本のキラーコンテンツというべきアキバの中にはぐくまれるアニメやフィギュア、メードなどのサブカルチャー規制の当局関与のいかがなものか感。
危ないものには魅力があり、それがエスカレートすると犯罪や迷惑が起こり、その規制のあり方が難しいバランスだという視点だ。アキバ試練の時とある。
そもそもサブカルチャーは、若者やカウンターカルチャーの新しさの迸りにより成立する。元来過激なものだ。原宿のホコテンもそうだったし、既存の場所ではないところで生まれて、常に変化していくもの。一瞬のブームのきらめきでもある。
その中で魅力的なアーティストや文化が生まれてきたのは歴史が証明している。私はこの規制の行き過ぎ自体が問題とは思えない。やはり社会の中での自浄作用という見かたもある。要は、その役割りが終わったことにより、サブカルチャーがサブでなくなり陳腐化に乗じて、悪乗りのやからがそのシーンをダメにしてしまったということである。当然、ヒットのあとの柳のドジョウということだ。対外はそのあとで規制がやってくる。
問題は、そのようなことがあるからと、路上パフォ−マンス自体が悪いとか、迷惑だと杓子定規に考えてしまうことへの警鐘だ。始めから悪いことをするやつのことを考えて、完全に押さえ込んでしまっては、サブカルチャーの芽も育たない。
その育ち方が、やはりどう見ても社会的な行き過ぎとなってしまったら、ちょっとお仕置きするというやり方が良いということだ。それが自浄作用なのだ。サブカルチャーは、ヒットと密接にかかわっているわけで、それが始めから閉ざされてしまっては、元も子もない。何も生まれない。
文化と迷惑のバランスというコラムタイトルだが、要は社会的迷惑が少し過ぎれば、チョットお仕置きのスタンスが良いのだ。
そのようにシーンが一般化してしまうと、もうすでに、先端を行っているサブカルチャー人たちは、飽きて他のシーンに行ってしまっているものだ。常にイタチゴッコ。ある意味ではこれが健全なサブカルチャーなのである。
そんな思いもあり、ケータイのコミュニティサイト規制に、強制的な措置を導入することに抵抗を感じる。しかも犯罪抑止に対して業界は懸命な努力をしているのにもかかわらずの導入である。
子供たちを犯罪から守りたい、それは当たり前の感覚だ。しかし、それを優先するために全ての可能性を閉じての防御は行き過ぎである。
今回は、従来のライブハウスでのライブではなく、稲葉瑠奈とのジョイントリサイタルということで、永福町のsonoriumというこじんまりとしたホールで行なった。
バッハ、ベートーヴェン、ブラームスという3大Bの作品を中心に、クラッシックをメインに行なった今回は、いつになくクラッシックの装い。ドレスもそうだし、いかにももクラッシック的なコンサート。
いつものような集中した音楽の演奏ではなく、クラッシックの枠の中での演奏のように聞こえた。ちゃんとやらなければという意識が強いという感じ。
もっと、奔放に。音楽の音楽ゆえの素晴らしさを楽しんで欲しかったな。演奏の終わった後の笑顔はいつものようだけど、演奏中はなにか型にはまった堅さが。

 

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