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もたらしとは?/ ノーローン

[ 333] 元麻布春男の週刊PCホットライン
[引用サイト]  http://pc.watch.impress.co.jp/docs/2008/0512/hot546.htm

の4点である。しかし残念ながら、この4点すべてを満たしたモバイルノートPCは今もなお存在しない。どこかに犠牲を払わない限り、現実の製品とはならないのだ。
従来型のモバイルノートPCでは、PCとしての性能や機能を極力犠牲にせず携帯性を高める、というアプローチが採られた。その結果は価格にしわ寄せされ、同じ性能、機能のスタンダードノートPCに対し、明らかに割高となった。スタンダードノートPCに対し携帯性という付加価値を加えたのだから、その分価格が高くなってもしょうがない、というアプローチだ。
PCベンダは、携帯性を高めるに際して機能や性能に妥協しなかったことを誇ったものの、それによる価格プレミアムについては口を閉ざしがちだった。価格プレミアムを乗せた高性能・高機能PCの方が利益を確保しやすかっただろうし、性能や機能を下げてまで価格を抑えたモバイルPCがどれくらい売れるのか、誰も分からなかったからだ。
Eee PCの衝撃は、性能や機能をある程度犠牲にしても、携帯性と価格にウエイトを置いたモバイルPCが市場として成立することを実セールスで示した点にある。ユーザーは、XGAを前提にしたWebサイトを閲覧するにもスクロールが必要になるディスプレイ、Officeスイートをインストールすることさえできない4GBのストレージ、動画のエンコードやトランスコードには現実的ではない性能のプロセッサであっても、価格が一定以下であれば、そのスペックに相応しい用途を見つけ出し、買ってくれるのだ(それだけ市場/ユーザーが成熟したとも言えるのだが)。
もちろん、Eee PCのような低価格モバイルノートPCが、PC市場全体における主流となることはないだろう。おそらくは、1台目のPCを補うセカンドマシンとしての利用が大半だと思われる。が、この従来型モバイルノートPCとは明らかに異なるアプローチが、立派に市場性を持つことを実証した意義は大きい。高値安定だったモバイルPCの市場に、低価格の風を吹き込んだという意味で、パンドラの箱を開けてしまったとさえ言える。コンパックショックならぬEee PCショックというわけだ。
しかしだからといって、これで従来からの高価格フルスペック型のモバイルノートPCが無くなってしまう、とも思わない。企業ユーザーを中心に、この種のモバイルPCを必要としているユーザーは少なくない。特に訪問先への移動が電車になることの多いわが国では、フルスペック型モバイルノートPCに対するニーズがなくなることはまず考えられない。高価格フルスペックモバイルノートPCと低価格モバイルノートPCは、市場で共存するのだと思う。それでも、低価格モバイルノートPCの存在は、常に価格面でのプレッシャーをフルスペックモバイルノートPCに与えることにはなるだろう。
そのIntelのAtomプロセッサだが、これも従来の同社製品とは毛色の違ったものになっている。基本的にIntelのプロセッサは、その歴史とともにトランジスタ数が増え、性能が向上し続けてきた。それがムーアの法則だと言われればそれまでだが、消費電力が問われるノートPC用のプロセッサにしても、新しいプロセス技術で消費電力を下げるというより、そのマージンを使って性能を向上させる(結果、消費電力は据え置き)、というパターンが多かった。
その点からするとAtomプロセッサは、既存のx86プロセッサに比べて性能が低下するのを承知の上で、消費電力の引き下げと製造コストの削減を目指したという点で、異色のプロセッサだ。省電力と低コストのためにトランジスタ数を大幅に削減する必要があり、そのためにトランジスタ数がかさむOut of Order実行や投機実行等をあきらめ、in orderパイプラインを採用した。
つまりAtomは、消費電力の枠を維持しながら性能を引き上げるという従来のポリシーを覆し、性能が下がっても消費電力を引き下げた、という点で異例なだけでなく、一度は自己否定したかに見られた高クロック化の技術を用い、実際に高クロックを実現しているという点でもユニークだ。つくづくIntelは、一度開発した技術をめったなことでは捨てない、無駄にしない会社だと思う。そして、高性能で省電力なプロセッサを作る、という1つの目標であっても、実に多岐にわたる技術の組合せが可能であり、さまざまなアプローチが可能であることを痛感する。

 

[ 334] 「スラムダンク」が中国にもたらしたもの:NBonline(日経ビジネス オンライン)
[引用サイト]  http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20070926/135915/

その余波は、なんと中国にも伝わっていたわけである。1996年、中国で「スラムダンク」がテレビ放映された辺りから、中国における日本アニメブームは全盛期を迎えるようになっていた。
中国全土で史上空前のバスケット熱が巻き起こり、中学、高校、大学と、どのキャンパスでもバスケに夢中になる若者たちが激増した。男子生徒は昼休みの時間を利用してバスケに興じ、バスケット部は大盛況となる。女子生徒たちは熱いまなざしと声援で熱狂的にバスケ部員を応援し、中には女子バスケに参加する者も増えたくらいだ。
80年代から90年代にかけて、アジア、ヨーロッパで人気を獲得したサッカー漫画「キャプテン翼」も中国でのサッカー熱を招いたが、「スラムダンク」の熱気には到底及ばない。
「『スラムダンク』が放映される夕方の時間帯には、みんな必死で家に戻ってテレビの前に陣取りましたよ」
「見そびれた場合は、昼間の再放送を狙うんです。中学校の近くのテレビが置いてある食堂に駆けつけたものです。食堂はいつも『スラムダンク』を見たい生徒たちで超満員。授業のあと、ダッシュで走っていかないと席がなくなっちゃう。店の主人も、生徒たちの熱気に押されて、立食しながらの視聴を許してくれました」
女の子たちは「スラムダンク」の登場人物、ハンサムで無口でクールな天才プレーヤー、流川楓(るかわ・かえで)に憧れる者が多かったので、その雰囲気に近づこうと、男の子たちは頑張ったそうだ。流川のキャラクターである「酷(クー)」(クール)という言葉も流行っており、それに拍車を掛けた。当時、若者たちは「スラムダンク」のコミックを、「青春の教科書」と呼んだという。
こうした「スラムダンク」人気は、中国の実際のバスケットボールの世界を変えていった。日本を遙かに上回るバスケブームが起きたのだ。
日本でもよく知られているのが、バスケットボールの最高峰NBAに中国の選手が次々と加入したこと。2001年に王治ズー(ワン・ズーズー、注:日本の雑誌やウェブでの表記の多くはワン・ジージーだが、よりオリジナルの発音に近いのはこちらです)がダラス・マーベリックス入りしたのを皮切りに、2007年9月までに計4人の中国人選手がNBA入りを果たしている。なかでも2002年、ヒューストン・ロケッツ入りした226センチの超大型センター、姚明(ヤオミン)の活躍は、中華民族の誇りを大いに高めた。彼は今、NBAナンバーワンセンターの評価を勝ち取っているという。
そのCBAで活躍している選手に、「江蘇南鋼」というチームの名手・孟達(もう・たつ)がいる。彼は2002年に開催されたCBAの試合で、満身創痍の江蘇隊を、ライバルの浙江隊との闘いにおいて、みごとに勝利に導いた青年として知られている。この試合により、彼は一躍名選手として名を馳せた。江蘇隊とは江蘇省を代表するチームのことで、浙江隊は浙江省のチームである。2つの省とも上海の近くにある地域区分だ。
そこで金陵晩報に電話し、この記事を書いた王文文という女性記者にお願いして、孟達の連絡先を教えてもらった。彼は江蘇省の南京に住んでいる。試合に影響しない日時を選んで電話取材を行うことに成功した。一部は金陵晩報の記事と重複することをお許しいただきたい。

 

[ 335] 内田樹の研究室: カトリーナのもたらした災禍
[引用サイト]  http://blog.tatsuru.com/archives/001212.php

アメリカのハリケーン「カトリーナ」の被害状況は一週間経ってもまだ全貌がわからない。死者数千人と言われているが、確認された死者は4日段階でまだ211人。あとは水没した家屋の中や路上に取り残されている。排水が完了したら累々たる屍骸の山が積み上げられるということになるのであろう。
今回の被害については行政の責任を問う声が高いけれど、私には単なる行政府の防災体制の不備というより、アメリカ社会そのものの本質的欠陥が露出した結果のように思われる。
その第一の徴候は、被災者が低所得階層の黒人たちで、彼らが防災上最も危険な地域に集住していたという事実である。
階層化社会はそうでない社会よりも強くフィードバックが働くから、「勝つ人間は勝ち続け、負ける人間は負け続ける」ことになる。
低所得層、非白人に生まれた人間はすでにハンディを背負っているが、階層化社会ではそのハンディ格差が成長過程の全局面で(財力、学歴、教養、情報、社会関係資本・・・)強化される。
それは誰かが悪意をもって彼らをスラムにおしとどめているからではない。階層化社会というのはそういうふうにクールに構造化されているのである。
それは社会そのものの本質であって、行政府にどのような善意の人がいても、階層化を是とする限り、改められることはない。
黒人の国務長官が任命されたり、黒人女優がオスカーを獲得したりするのをみて、アメリカでは黒人差別は廃絶されつつあるという印象を持つ人も多いが、実際には「上層黒人」と「下層黒人」のあいだの階層化が進み、「黒人」の間のデリケートな階層差を非−黒人が記号的に認知できるほどにアメリカの人種差別が「リファイン」されてきたということだと私は解釈している。
人種が差別化指標として機能しなくなれば、出身地でも、言語でも、宗教でも、学歴でも、教養でも、どんなものでもそれに代替することは可能であり、あらたな指標に基づいて人々は階層化される。
「年収」と「名声」という明徴的な尺度で国民を上から下まで序列化し、その序列をよじ登りたいという欲望を主要な社会的活力源としている限り、アメリカ社会は階層的であることを止められない。
アメリカの民間人が所有している銃器数は2億2千万丁(警察官や軍人が所有している銃器を除いて)。つまり、赤ん坊から老人まで、国民一人が一丁以上の銃を所有しているのである。
銃による犯罪は年間60万件、銃による死亡者は年間3万人。過去20年間で60万人(これはシアトルの人口と同じ)が銃で死んでいる計算になる。
これは1791年に制定された権利章典の第二条で世界にも類のない「市民の武装権」(「国民が武器を保有し、携行する権利はこれを冒してはならない」)が認められているからである。
私のいた芦屋山手町も、あたりの家は震災後無人となり、施錠もされていないまま(というか壁が崩れたりドアが閉まらなかったりで)放置されていたが、窃盗の被害のあったことは聞いていない。
震災直後に西宮のホームセンターにホワイトガソリンを買いに行ったとき、私のあとから中年のご婦人が雨漏りがするのでビニールシートが欲しいと言って買い物に来た。店員はブルーのシートを取りだして女性客に渡した。彼女が値段を訊くと、若い店員は「いいよ、ただで。困ったときはお互いさま」と答えた。
私はそのとき万全な防寒重装備をしており、250ccのバイクでばりばり瓦礫の中を走り抜け、料理用にコールマンのガソリンストーブの燃料を買いに来たのである。
無秩序な状態において、サバイバル能力の高い人間がサバイバル能力の低い人間をおしのけて、それを食い物にしている。
警察力や行政や地域社会からの外的規制が効いているときはやむなく「市民的」にふるまうけれど、外的規制がなくなったとたんに「市民」の仮面を棄てて恥じないという人間が多数存在するということは、アメリカ社会がことばの厳密な意味で「近代市民社会」になっていないということである。
市民的成熟を妨げているのは第一の「他人を押しのけても勝つ者が祝福される」という階層化社会の原理であるけれど、第二の理由はやはり銃の存在だろう。
物理的な暴力装置が手軽に入手でき、それを誇示しさえすれば、物質的欲望が簡単に達成できる社会では、市民的成熟への動機づけは弱まる。
さらに階層化によって社会下層に釘付けにされた人々「地に呪われた者たち」にとって、略奪は「ブルジョワジーに収奪された財貨を奪還する革命的行為」として政治的に正当化することが可能であり、アメリカでも左翼的な知識人はおそらく略奪に同情的なコメントを発しているはずである。
被災者の受け容れ体制が整備されないまま、ハリケーンがさらに次々とアメリカ南部を襲うという予報が届いている。
市民的成熟を放置したことのツケが国際社会における敵勢力からの攻撃によってではなく、自然力への耐性の弱さというかたちで露呈するとは、まことに意外である。
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こういうときに、本当に一人一人バランバランになってしまうアメリカ社会って何なんだろうと感じていたところでした。
こういう状況で噴き出してくるなにか、それがあるかないかのちがいなんでしょうか、銃社会であるかないか、というのは。
ニューオーリンズは行ったことがありますが、空港から街中に向かうまでにスラムではないかと遠目に見える住宅街をタクシーで通り過ぎたことがあります。今回一番手ひどくやられたのはあの辺だろうなと思ってニュースを見ていました。トータルで見ると、アメリカに近代市民社会が成り立っていないと言えるかもしれませんが、人種間で住む場所が全く違い(オリエンタルは比較的同化しています)、白人が住んでいるストリートに黒人が越してくると、何となくいつのまにか白人が郊外へ脱出していくというのを目の当たりにすると、貧富の差というよりも、人種という要因が大きいと痛感します。日本でも似たような光景があったではないですか。大戦直後に、戦勝国民(?)と勘違いした一部の朝鮮人・中国人の横暴ぶりです。
銃の存在もアメリカの病根として散々言われてきたことですが、隣の家まで5km離れている所ではやはり銃が必要だと思います。自分と家族を守るためにはどうしても必要です。外から批判するのは簡単ですが、自分がそこに住んだら、確実に銃を買い、射撃訓練を定期的に行うことになると思います。内田先生でも誰でもそうすると思いますよ。警察を呼べたとしても、反撃する銃がなければ、警官が来てくれるまでの間に犯罪者に殺される可能性が限りなく百%に近いですから。
科学者や物理学者の方の仲に矢張り別のなにか宇宙の心のようなものを感じている人がいらっしゃってそれを感じることが人類のしあわせ?もしくは質の向上につながると思うのです。
最近の富裕層の方々と話していて思うのは私たちは「金持ちだから自分は偉い」という態度をとられる方が多いことです。むかしの金持ちはそういう態度をとる方が少なかったし多分思ってなかったと思います。お金は決してあの世には持っていけないし役に立たないし、この世で自分だけいい想いをしても心が満足できないでしょう。自分は一番大切だけれど贅沢も素敵だけれど、少し寄付したりボランテアしたりして幸福を分けてあげることで自分の心も安定すると思うのです。天国と地獄は規則は同じでご馳走をながーいスプーンや箸で食べるのに、地獄の人々は何とかして自分だけいっぱい早くたべようとするのだけれど、天国の人は相手に食べさせてあげようとするので相手も自分に食べさせて下さるのでながーい道具でも大丈夫。みんな食べることができるというたとえのとおりしあわせはそのようなものだと人類が気づかねばいづれ進化しないまま滅びていくのでしょうね。
私は一応自然科学系なんですが、ラブロックのガイア仮説を7割方信じています。京都議定書、温暖化、猛烈なハリケーンという現象のチェーンはガイア仮説で解説可能な物語になりますね?ガイアのキラー細胞が病原の位置をおおむね見つけて攻撃したけれどピンポイントとは行かなかった。逃げ出すバス代にも事欠くカラードが直撃される。ガイアが同情とか正義とかを理解しないとはラブロックも言っていた。
銃社会は持続する構造をつくらないことは自明じゃないでしょうか?なぜ人を殺してはいけないのかに対する答えとしては木村晋介さんたちの、「殺人が日常的に許容される社会は持続しない」という(たぶん)構造主義的な答えが一番優れている。
最後のフレーズに「意外にも」とありますが、今西錦司風におきるべくしておきたといいたい。ちょっと「宮台」がはいってイヤかな?
>さらに階層化によって社会下層に釘付けにされた人々「地に呪われた者たち」にとって、略奪は「ブルジョワジーに収奪された財貨を奪還する革命的行為」として政治的に正当化することが可能であり、
略奪ごときで「革命的行為」が成立するなら、そろそろニューオーリンズあたりで「革命政権」が成立してもいい頃ですが。
私には「略奪が発生するかどうか」と「市民的成熟」は別の問題であるように思えます。「市民的に成熟している」はずのわたしたちであろうとも(笑)、外界から孤立していて、救援が4日も5日も来なくて、食糧が尽きたときに「誰もいないコンビニやスーパー」が目の前にあれば、そこから食べ物を持ち出す(=略奪をする)ことは十分にありうると思いますが、どうでしょうか?
「地に呪われたる者」にその通りのセンテンスがあったかは思い出せませんが、あの本の主旨はまさにアルジェリアの民衆の(ネグリの言葉で言うならマルチチュードの)反逆の正当性を論じていたのですから、読んだことがあるような気がしますが…文字通りではないかも知れません。
ヴォネガットは「左翼」でも思想家でもないにしても、「さよく(嶋田雅彦のとは少し違うにしても)」だと私は評価している。ナチスの捕虜として連合軍の空襲にあったという体験はかれに確乎とした「国家」への視点を与えた。しんじつかれのコメントを聞きたい。
すくなくとも、すでに20年前、ワシントンDCでアナコスタ地区へ行ったら、人を見たら先ず撃て間違いだったらSoryといえばいい。というのが必ずしもジョークとはいえない実感だったと聞き及んでおります。NRAによって強制選択法で銃を待たされた市民の行き着くところは目に見えている。という気がするのです。
ヴォネガットがかつてとりあげた、夜光時計製造労働者の放射線被曝の記憶は消し去られようとしている。ビキニ環礁での被曝。そしていわゆる湾岸戦争症候群。
プルトニウムは肺がんを確実に惹き起こす。タバコタバコと騒ぐのはプルトニウムをマスクするため。と、私はかんぐっている。ついでに、今年は観測史上最大になったオゾンホールもフロンだけじゃない。超音速ジェット(旅客機だけじゃない戦闘機もだ)がNOXを出すのは周知の事実。そのうえ、武器や戦闘用の車、飛行機には排出基準があるはずもない。むかし「週末から」という雑誌がありました。なつかしい!
で、銃社会であるということは重要です。銃社会にすることが共和党にライフル協会から課せられた使命だし、肉食の推進もお抱え栄養学者によって進められてきた。MSA「援助」の推進のために、小麦の栄養価が米より高いとされた。蛋白組成なんか米のほうがいいんだとようやくこのごろ言ってもいいことになった。
ラテンアメリカについて書くと、レヴィ=ストロースで最も共感した、悲しき熱帯での「おなぐさみ」にたいする告発を思い出す。これをやったのはたぶんPではなくてKathoricだったろうけれど。マルケスやボルヘスに漂う死の香りはKのそれだ。
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