取らとは?/ ノーローン
[ 499] 第1回:社員に取らせたいIT資格:ITpro
[引用サイト] http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20061208/256385/
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公的IT資格の受験者数が減少する中、逆にソリューションプロバイダの公的IT資格への評価は大きく高まった。主要企業75社の人材開発担当者の大半が、取らせたいIT資格として公的IT資格を挙げた。ベンダー系のIT資格も、営業効果に対する評価は高い。その半面、資格取得時の一時金は公的資格より減額する企業が増えるなど、ベンダー系資格の拡大に警戒感も出てきた。案件が増加局面を迎えたことを反映して、IT資格にメリハリを付けようとする実態が浮き彫りになった。 図1●社員に取らせたいIT資格主要ソリューションプロバイダ75社が回答。10件以上の回答を得た資格のうち上位10資格を掲載した 「受注したシステムに不具合が生じても、自身では対応できないSEが増えた」(日本ユニシスの村上拓史人材育成部HR戦略推進室長)。 原因は、現場で活躍し始めたSEが、プログラミングの実装を経験してこなかったことにある。ここ数年、下流工程の外部委託を推し進めてきたツケが、今になって回ってきた格好だ。日本ユニシスは急きょ、下流工程の知識を叩き込む研修とIT資格試験を組み合わせた教育プログラムを導入した。 「人が財産」であるソリューションプロバイダにとって、人材開発担当者が抱える課題は尽きない。上向きの景気が続いたことで案件が増加し、以前から懸念されていたプロジェクトマネジャーなどの人材の不足は、ますます深刻度を増している。 日経ソリューションビジネスが実施した「IT関連資格の有効性に関するアンケート調査」からは、こうした状況を反映して「社員にIT資格を取得させたい」という人材開発担当者の強い意欲が浮かび上がった(図1)。上場企業など主要ソリューションプロバイダ132社にアンケートを送付し、75社(有効回答率57%)から回答を得た。その回答結果によると、技術職/営業職に取らせたいIT資格の支持率が、1年前の前回調査から急上昇したのだ。 例えば、「情報処理技術者試験プロジェクトマネージャ」は前回調査と同様に技術職に取らせたい資格の1位だが、支持率は63%と13ポイントも高まった。また、やはり前回調査と同様に営業職に取らせたい資格でトップの「情報処理技術者試験初級システムアドミニストレータ」も、支持率を6ポイント上げ 39%に伸ばした。 「ソリューション営業」サイトは、ITの提供者だけでなくITを活用し成長しようとする企業向けの情報を加え「成長企業のIT活用」に生まれ変わりました。 製品&サービス・ディレクトリ業務アプリケーション設計開発OS/DB/ミドルウエアサーバー/ストレージ |著作権・リンクについて|個人情報保護方針/ネットにおける情報収集/個人情報の共同利用について|サイトマップ| |
[ 500] 【詳報:PS3量産遅れ】「リスクを取らなければイノベーションはない」と久多良木氏:ITpro
[引用サイト] http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060906/247387/
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米国では11月23日に「Thanks Giving Day(感謝祭)」と呼ぶ祝日がある。この時期からクリスマス商戦が始まることもあり,この時期に発売できないと痛手が大きい。9月末に量産を始めた完成品は,まず米国市場に向けて優先的に輸出する。日本ではソニーの木更津工場,中国ではEMS企業などが量産を請け負うが,米国への輸出のロジスティック確保が悩ましい問題だ。PS3は本体だけで5kg,周辺アクセサリを含めると7kgになる。これだけの重量の商品を米国に全数空輸すると,コストが見合わない。船で送ると時間がかかる。今回の量産遅れによって,この輸送計画をいかに立てるかがポイントとなる。発売日までに米国に40万台を出荷,その後は週に10万〜20万台で供給する予定という。 では,SCEお膝元の日本市場はどうか。11月11日の発売時には,10万台の確保が精一杯のようだ。その後,年末までに週に10万台程度を日本市場に向けて出荷する。この結果,当初は年末までに世界市場で400万台という目標を掲げていたが,日米市場分を合わせて年内の出荷台数は200万台程度になる見通しである。 残念ながら,世界同時発売は実現できず,欧州市場におけるユーザーが最も待たされることになった。その理由は,製造地からの距離が遠く,適切なロジスティックの確保ができなかったことが第一に挙げられる。加えて,ソフトウエア・ベンダーの対応も,どうしても欧州市場向けの製品は後手に回りがちだ。多くの言語に対応する必要があるからだ。欧州向けの製品出荷は2007年1月以降になる。輸送には船を使う。欧州市場分100万台を確保できる3月上旬が,再設定される欧州発売日となりそうだ。 SCEは,ソニー白石工場に半導体チップの量産を委託していた。半導体チップの実験試作および量産試作までは何ら問題がなかったという。ただし,複数の「炉」で製造を開始しようとした7月ころ,一部の炉では高い歩留まりを確保できるものの,他の炉では安定して量産できないという問題が発覚した。製造炉の違いに対応して製造装置のパラーメータを調整する作業に手間取り,ここに来てようやく,その調整方法が確立しつつあるという。「1カ月の量産遅れですむメドが立ったことから,今回,発売遅れの経緯と今後の見通しについて発表することになった」と同社は説明する。 製品&サービス・ディレクトリ業務アプリケーション設計開発OS/DB/ミドルウエアサーバー/ストレージ |著作権・リンクについて|個人情報保護方針/ネットにおける情報収集/個人情報の共同利用について|サイトマップ| |
[ 501] (´-`).。oO(蚊取り線香は蚊を取らないよ) - livedoor Blog(ブログ)
[引用サイト] http://blog.livedoor.jp/tsubuanco/
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TBはご自由に。送られたら返します。原則として、当方より先に、言及リンクなしにTB送信する事はありません。 一つの事件に関わる人物達の、各々が所有する財布を擬人化した視点で語られる本作は、一編ずつ独立した視点により完結するエピソードの中に、それぞれ事件に関わる事象を当て込んでいき、最終的に一つの全体像として完成されるオムニバス長編なる、少し変わった手法にて構成される。 その各エピソード、どれか一つだけを独立した短編として扱っても、一本の作品として成立するだけの、基点となる人物の背景や心情、起承転結のストーリー展開が用意されているもので、人物描写に定評のある宮部みゆきならではだ。だがそれを今回映画化するに当たり、一応視点が切り替わるごとに章題が表示されるものの、あくまでも全体としての流れを重視した、流れの一本化が図られているために、各エピソードおよびそれを構成する、メインの事件との関わりが希薄な人物の、その存在意義までもが希薄となり、原作を知らずに映画だけ観た場合、「この話は必要だったか?」あるいは「結局あの人はどうなった?」と思わされる局面が多々ある事となる。 それはメインストーリーに大きく関わる人物に関しても同様、例えば事件を追う刑事(長塚京三)の心臓が弱い事やローンに困っている事などは、事件捜査の展開とは特に関係なく、物語後半に至っては何の意味も成さず、普通の刑事さんでしかなくなっているのでは、一体何の意味があったのか、よくわからなくなる。彼を買収しようとする女性(上原美佐)のエピソードに至っては、思わせぶりな彼女の不倫が事件に関わらないため完全に尻すぼみだ。 平山あやと佐藤めぐみのエピソードも同様。ただ死体を見つけるだけのために、二人の友情だの恋愛だのが壊れていく話を、中途半端にダイジェストで挿まれても、一体何の意味があるのか、映画だけ観ても理解出来ないだろう。 これらは、原作の特殊な構成を、完全に諦めて普通の一本ストーリーにするのか、あるいは原作のオムニバスを再現するのか、どちらにも寄る事が出来なかった中途半端さに、全ての原因がある。これは財布の視点云々以前の問題だ。 本原作は、そうした各個のエピソードおよび人物像が必要以上に描かれている事からも自明な通り、事件の謎解きそのものよりも、単純に事件と言っても多くの人が関わって動いている事、その一人一人にも、生きた人間としての人生や背景が背負われている事を重視して、各人物を綿密に追った蓄積こそを最大の伏線としている事が、最大の特色であり、面白どころと言える。 親の育て方によって培われてしまった、自分が特別な存在であるとの自負心と、だが実際には有象無象の一人にすぎないとの現実、そのギャップによって人格が歪み凶行へと走る、とのキャラクター造形そのものは、フィクションにおける殺人犯の像としては特段に珍しくもない。だが本原作では、彼が登場する以前からずっと、あらゆる有象無象を一人ずつ丁寧に採り上げて人物像を描いていく事で、彼の存在がとるに足らないその他大勢にすぎないとの事実を、殊更に強調し、犯人像がそうである事が、ストーリーではなく作品構成として当然の帰結であるべく配されている。これが原作の秀逸な点である。 一方今回の映画版では、その要点は特にクローズアップされず、ただありがちな頭でっかちのサイコ坊やとして描かれているにすぎない。これでは作品の特異性が引き立たず、平凡なミステリー、刑事ドラマと変わらない印象しか残らないのだ。これが致命的。 と言っても、もう一つ題材的に特色として挙げられる、いわゆる三浦和義のロス疑惑を元としたと思しきメイン事件において、興味本位が優先されるメディア報道を皮肉るだけでなく、それに無思慮に踊らされる愚衆をもディフォルメしてクローズアップし、愚かなメディアを支えているのは、何よりも大衆の興味本位である、と突きつける点においては、原作よりもオーバーに表現される事で、皮肉を強調しており、人によっては居心地が悪く、人によっては痛快に感じるのではないか。 そして、当事者でもないクセにわかった様な口をきくな、と批判するまでは、本作以外でもよく見られる主張ながら、本作では更に、当事者をわかっているつもりの人物でも尚、本当のところなどわかってはいないのだ、と皮肉って、人間の、自分自身の願望による思い込みの愚かしさ、および結果はあくまでも結果でしかないとも突きつけて、主観と現実のギャップを描く、教師のエピソードは、教師を演じる大森南朋と、女子生徒を演じる谷村美月の演技力も下支えとなり、強い印象を残す。 その大森南朋や谷村美月の様に、枝葉のエピソードとして少ししか登場しないのに、やたらと存在感の強いキャスティングがなされ、彼らの演技によって興味を持続させるている事も、本作の評価点となるだろう。だからこそ、その各エピソードの扱いが半端な事が惜しまれるのだ。 犯人の財布の声があからさまに悪人声なのはギャグなのか。本来のあり方を考えれば相反すると思えるのだが。 昨年デジタルリマスター版が劇場公開された『追悼のざわめき』の松井良彦監督が、22年ぶりに手がけた最新作。主人公の境遇や起こす事件などは、実際に起こった事件がモデルとなっている。 全編モノクロで製作された前作から一転、今回は普通にカラーで撮られている。それによって明示される"色"にこだわった色彩配置がまず目につく。 鋳物工場における作業風景から始まるファーストシーン、赤く溶けた鉄の輝きが、薄暗い町工場内にて浮かび上がるファーストカットからいきなり、"赤"を強く印象づけられる事となる。これ以降、本作の一面を支配する色として、"赤"が要所にて用いられる。 わかりやすい部分だけでも、行われる殺人にて流れる血はもちろん赤い。そしてその死体を焼く場面において、炎の色が殊更に"赤味"を強調すべくエフェクトがかけられている事からも、"赤"をキーカラーとして印象づける意図は明白だ。殺人場面のフラッシュバックにても、同様に赤味が強調され、主人公(柏原収史)自身が受けた強烈な印象を、観客も追体験させられる事となる。 一方で、ヒロイン(あんず)にまつわる事物、事象においても、"赤"が多用されている事に気づけば、人物構図やストーリーにおける各々の位置づけが見えてくる。主人公とヒロインの出会いにおいて、当初二人を結びつけるものは彼女負った傷とそこから流れる血にある。これはもちろん赤い。そして彼女は好んで赤い服を多着している。 主人公が彼女に血を流させた事、主人公がストーカー社長に血を流させた事が、二人の結びつきをより強める結果となる。二人が罪を共有する、死体を焼く時点にて赤が最大に強調されるのは、極めて必然である。 "水面"を用いて心象を表す手法は、前作にても一部使われていたものだ。今回は、入浴シーンにて、浴槽に落ちる水滴を、まず主人公がそれを見ている場面を用意し、見たまんま、"波紋"によって心象を表現。ながらもその水は澄んでいるとする事で、その時点での主人公のありようと、今後への示唆としておく。それと同一の局面をヒロイン側にも用意する事で、同じものを見ている、心象の相似を表現。これによって語らずとも、二人が近づく必然としている。腕時計が壊れていると表す場面は、事故すなわち出会いの瞬間に"時間が止まった"事を示す、これまた見たまんまの表現で、必然を更に補足したものだ。 その水面に、"赤い"血が落ちる事で濁ってしまう。これも見たまんま浸食を表現。澄み切った青空が水面に映し出される段では、だが上下が入れ替わる事で、青空は更に下に位置される事となり、あらゆるものが逆転して描かれる本作の、皮肉を象徴したものとして突きつけられる。偶発的な異物にて全てが裏切られるラストにより、皮肉は突き詰められ完結する。 と、意図しているところは想起させられ、プルの起きたコーヒー缶を手渡すだけで、こいつはホモだと気づかされるなど、狙いがストレートに伝わる表現、演出は、だがストレートすぎて物足りない。もうひと捻りほしかったところ。 先述のコーヒー缶など、敢えて言葉を用いず状況のみで説明する部分での自然さ、および、カラオケボックスでの店員とのやりとりにおける、逆に言葉を多用する事で本音と建前の相反を如実に表す自然さなど、工場見学ドキュメントを思わせる導入部も含め、リアルを体感させる表現を用いながら、ところどころ、例えば件のカラオケ店員が最後にこぼす「オカマ」の一言など、取ってつけた様な不自然極まりない台詞が残されているため、全体としてのバランスが壊れがちとなり、リアルを損ねているのが勿体ない。言葉を用いない事に苦心するのならば、用いる言葉はより厳選すべきだろう。 向かう先を訪ねるタイトルに反するかの様に、各所に用いられる車やバイクでの移動シーンにては、向かう先ではなく去っていった後ろが延々と映し出され、主人公の志向と思考、現実のギャップ、皮肉を物語っているのも、気分をダウナーにさせる一因だ。 刑事が登場し、殺人事件が起こるのに、一向に犯罪捜査が始まらない展開は、用意されている事象から観客のミスリードを誘い、それを裏切る狙いによるものか。ヒロインの過去の職歴も同様、手際の良さの説明としては機能しているものの、結局ストーリー上には特に寄与せず、思わせぶりなだけで終わってしまう。情報を完結させない事で、観客の心や感情の行く先を見失わせ、結末から生じる思いを誘導する結果には繋がっている。 全くの孤独で誰からも愛されなかった男が主人公だった前作とは異なり、今回の主人公は、歪んではいるがメイン登場人物の誰からも好かれ、愛され、気にかけられている、正対するスタンスが面白い。そうでありながらも、主人公はその中で一番に歪んだ道を選択し、だがやはりそれは客観的には同じ性癖にすぎない、と、皮肉が徹底されている。 一方で、下世話な興味を喚起する題材を敢えて用い、インパクトを与えつつ、異質だからこそ浮かび上がる真理や真実を描こうとする姿勢は、前作と変わらないものだ。 とはいえ、前作のハードルが高すぎる事は、作る側にも観る側にとっても不幸だ。長澤奈央の存在だけ浮いているのも困る。町工場の事務服姿は貴重だが。 ブラックジャック必勝法を実戦したMIT学生達の実話を取材した、ベン・メズリックによるノンフィクション本『ラス・ヴェガスををブッつぶせ!』を原作に映画化。 その底本、原作内では必勝法を説明する段にて当然の様に紹介、引用がなされ、今回の映画版でも、主人公が講義中にテキストに隠して同本を読んでいるシーンが挿入されるなど、オリジンに対する言及はなされている。 だが今回の映画版にて問題となるのは、原作では一から筋道立てて説明され、読者がその意味を理解した上でストーリーが進められる、肝心の必勝法・カードカウンティングに対し、場に出たカードの種類ごとにポイントを振り、現在何ポイントかを常に数えていく、まではいいとして、ではそのポイントが、どの様に勝負に左右するのか、どんなポイントの時にどんな行動をとると勝てるのか、逆に負けるのか、といった説明が何らなされていない事だ。 そもそも、数あるゲームの中で何故ブラックジャックを選び、それのみに固執するのか。原作では、純粋に確率的に、ディーラーよりプレイヤーの方が有利となる唯一のゲームだからだと、やはり事細かに説明がなされ、なるほどと納得が得られてからお話に突入するからこそ、ストーリーの起伏を楽しめるのだ。映画版ではまずそれがない。根本が周到されていないのだ。 だから当然、実際にゲームが始まっても、主人公が何をどうして勝ったのか、常に"勝っている"結果しかわからない。これでは主人公の頭の良さも活きてこず、"仕事"の過程も楽しむ事が出来ない。ゆえに主人公に感情移入する事も、ドラマ展開に没入して一喜一憂する事も出来ない。 尚、本作のストーリーは、原作とは大きく異なるものだ。何せ主人公の設定から全く違う。原題が原作と違う由縁は、そうした大幅な改変によるものだろう。それによって全く実話ではなくなっているのはご愛嬌だが。 原作では主人公は金に困っているわけでもなく、下層カーストのオタクグループに属しているわけでもなく、普通に彼女もいて成績も優秀で、何不自由ないエリートであり、チームに参加するのも、単に面白そうだと思ったからだ。 その意味では、本作の主人公は、原作に比べると、観客の感情移入を誘い、時に同情的になり応援したくなる様な意図を込めて、改変がなされていると考えていいだろう。にも拘らず、原作よりむしろ入り込めないのは何故なのか。 それはその改変が、BJ必勝法の内実が語られないのと同様に、人間の心情や人間関係の変遷までもが、アメリカン的定番における決まりきったお約束の上辺だけを追っているものに終始するからだ。定番は面白いから定番となる。だがそれは、登場人物に感情移入して共感出来る描写がなされてこそだ。 必勝法に対する不足と、人物描写に対する不足の双方が相乗し、完全に観客の心的乖離を生んでしまった局面が、主人公の暴走による挫折シーンと言える。 ここに至るまで、どうすれば勝てるのかの説明がなかった事により、逆にどうなると負けるのかも掴み難い。感情に走ったから、との説明はつくが、だからと言って結局は確率論でしかないBJに、そこまで負けが込む事になるのには、感情以外の理由も必要とされる筈だ。そうした必然や納得が何もなく、主人公の感情描写もまた、表層的なお約束に沿ったものでしかない事で、その場面がただ取ってつけたものとしか感じられず、観ている側は何の感慨も湧かない。 そうして全く感情移入が行えておらず、また、そうなるのも仕方ないとの必然が描かれていない事で、その後の主人公の転落は、まずは自業自得としか感じられず、全く同情出来ない。だから主人公の再起を応援する気にもならない。および、離反後に教授が行う仕打ちもまた、無理からな取ってつけたものとしか思えない、今までの描写からの納得がない事で、更に醒めてしまう。 よって、その後の再起や逆転、どんでん返しなどで主人公が成功し、教授は転落する、とされても、どっちもどっちとしか映っていなかった観客にとっては、主人公は主人公だからハッピーになる御都合主義としか感じられない。あまつさえ最後まで悪役扱いなカジノスタッフが、何のペナルティも受けずハッピーなのでは、教授だけが転落する事に対し、余計に据わりが悪くなる。 ヒロインとの恋愛絡みのストーリーも、同じく上辺だけをなぞったものに終始。人間の心というものが全く描かれていないどころか、何故この二人がくっつくのかにすら必然がない。序盤の体育館シーンにて、つきあっていたらしきマッチョ男の存在が、その場のギャグにしか使われず、その後何の関係もないあたりからも、ちゃんとしたドラマを作ろうとの意志が、そもそも欠落していると瞭然だ。 原作の展開とも一部シンクロする、フィッシャーとの確執や離反のストーリーも、脱けたらそれっきりで、最後に友人が勢揃いする場面にも登場しないのでは中途半端すぎる。いつか戻ってくると思って待っていたキーファが最後まで帰ってこないドラクエ7かと。 韓流映画『猟奇的な彼女』『僕の彼女を紹介します』に次ぐ、クァク・ジェヨン監督による『彼女シリーズ』最新作。今回は何故か日本資本で日本を舞台に日本人が演じる日本映画だ。 とはいえ監督の韓流カラーが霧散するわけもなく、ストーリーも演出も映像も、どう見ても韓流映画そのものである。主人公二人が出会う序盤、車道を挿んで平行に歩く二人を、両視点の切り返しでフォローするカット割りなどはまんま韓流。直後に男が柱にぶつかって倒れるタイミング演出にいたるまでがそうだ。 中盤の小旅行シーン、車内から二人を舐めて窓外の背景を見せるショットや、地方町を歩く二人を、画面手前に花を被せてフォローするカットなども同様。これが紛れもなく韓流映画のセンスにて作られていると、いちいち痛感させられる。 でありながら、舞台は日本であり登場人物も日本である事から生じる、視覚他あらゆる面で感じさせられる違和感によって、他にない独自のカラーが偶発的に発生している事が、本作の特徴と言えるだろう。韓流を意識して作られた日本映画として、最近の『花影』などは、舞台の半分を韓国にしカップルの片方を韓国人イケメン俳優としながらも、映画としての作りは日本映画の枠に収まっていた事例と比べても、近いながらも趣きを全く異にする、韓国と日本の文化認識差が感じられ興味深い。 ただしその違和感が、いい方向にばかり働いたと見るわけにもいかず、埋め難いセンスのギャップにより、感情移入の阻害となっている事は否めない。ひとつはエモーショナルな解釈、表現において、竹中直人演じる教授(?)や、軟派学友による、引いてしまう程にオーバーなアクション、リアクションに、悪い意味での違和感は象徴されている。 ゲロだのウンコだのと、やたらと下品な事物をストレートに見せ、それを単にギャグとして扱っているなどの感覚も、幼児以外の日本人には受け入れ難いものだろう。ただし、引き笑いという、監督が意図していないであろう感情を観客に抱かせる事は成功している。ゲロを吐くシーンでは引くだけで笑えないが、そのゲロに顔から落ちる箇所では「あーあ」と笑えてしまうのは、ギャグを展開させる演出タイミングがベタながら的確であるからだ。だからこそ、多きを占める日本人スタッフは、日本人向けのネタ選択を進言すべきだった筈。 窃盗や強盗、無銭飲食を繰り返す序盤の展開にしても同様。これは、ヒロイン像にインパクトを与え、魅力的なビジュアルとのギャップも含めて、主人公同様に観客にも強烈な印象を残す、『猟奇的な彼女』と共通する導入手法であり、また、『ターミネーター』のオマージュが根底に敷かれている本作においては、同作にて非合法手段で衣装や武装を調達する序盤の展開とも、シンクロさせる意図があったのだろう。 だが、ターミネーターは主人公や観客にとっての脅威、恐怖の対象となる怪物であって、感情移入対象ではない。一方本作ヒロインは、理解を超越する存在との点では変わらないながらも、主人公や観客が感情移入して愛すべき存在であり、スタンスは正対しているのだ。でありながら無法行為を繰り返し、反省もフォローも無しでは、移入や導入の阻害にしかならない。アナーキーな痛快さが、映画による楽しみのひとつである事は間違っていないが、使いどころを謝っては違和感しか生じないのだ。 主人公が最後までヒロインの名前を呼ばない、というのも、人間だけでなく動物や無機物にさえ名前をつける事で、親愛や愛着を深める、日本人が持つ固有名詞に対する思い入れからすると、大きな違和感だろう。これは、主人公とヒロインの距離感が最後まで曖昧なまま、観客に明確に認識出来なかった事の要因ともなっている。 自分が年をとって死んでしまう事を想像して泣いてしまう主人公、「あなたの心を感じる」と言ってほしいとのモノローグ、など、後の展開で伏線であったと気づかせるための要素が、あまりに唐突かつ不自然な流れ、言葉によって、無理から挿入されている事も、エモーショナルな場面ながら逆に感情移入を阻害する要因だ。これは、そうした概念のありようが不自然なだけでなく、用いられる言葉が、その場の流れおよび通常の会話としてそぐわない、不自然なダイアローグである事も助長している。脚本を日本語に訳す段階においての、自然な言葉選びが徹底していなかった結果だろう。 かつての故郷に戻った主人公が、子供時代の友人が子供のままであるのを見て、「全然変わってないな〜」と言ってしまう、これまた不自然極まりない台詞も同様。そもそもこの故郷場面。2007年から2008年と、冒頭に明確に時代を設定しているにも拘らず、たかが十数年前の風景、風俗としてはあり得ない古臭さであり、外国人監督ならではの誤解と齟齬が、事象として明確に表出してしまった部分だ。 単に『三丁目の夕日』っぽい映像を作りたかったとの、志の低い意図もなかったとは思えない。いやむしろそちらが主だろう。主人公の宝箱の中に収められた『ジョー90』のメンコが、明らかに時代を錯誤している証である。ちなみに『ジョー90』とは『サンダーバード』と同じアンダーソン製作による人形劇であり、本作の題材である人造人間と被らせたものだろう。 同様に故郷場面にて、祖母と思っていたら実は母だった、なる、ストーリーの本筋と何の関係もない衝撃の事実が、言葉だけでいきなり告白されてしまうが、これは、2007年に現われた"第一印象"のヒロインと、2008年以降のヒロインとが、同じに見えて違うものだったとの、終盤で明らかになる事実と相似させた、内包的な伏線であったと捉えるべきだろう。実はその様に、何気なく見せられた事物や事象が、後になって意味を持って繋がってくる仕掛けは、それなりに盛り込まれている。だからこそ、見せ方、使い方の不味さが勿体ない。 場面ごとの繋がりや移行が乱暴で、意味が曖昧になっている事物、事象が多い事も、観客をモヤモヤさせる要因となる。2007年にてヒロインが主人公宅に石を投げつける場面で交わされる会話やアクションと、実際の設定との噛み合いの意味は、ヒロインの真相が明らかになっても意味がわからないままだ。主人公が住んでいる家なのか、以前住んでいた家なのか、どういう事だ?と思ったら2008年には普通に住んでいるのでは、意味が全く通らない。 そうした最低限の説明すら曖昧なのに、学校占拠シーンの様に、本筋と関係ない場面でやたらと時間を食っているアンバランスさも気にかかる。ヒロインが救った命を、その時点では大きく扱いながら、最終的には主人公のみにクローズアップされ、今まで登場した他の人達が大災害でどうなったのかには全く触れずスルーでは、話が繋がらない。ネコが急にいなくなった事と地震発生が関係あるのかないのかなど、本筋の展開と枝葉の描写がチグハグで中途半端だ。 そのネコを連れて来た事、あるいは故郷場面など、ヒロイン自身に時間移動能力があるかの様な描写、展開を用いた事は、実は本筋とは関係ないのだから、明らかに失敗と言える。時間移動出来るのなら、瓦礫に埋まった時も時間を戻せばいいだけだ。これでは話が成立しない。自由には行えないのなら、ではどういった条件下で行っているのかの説明がない事には、単なる御都合主義でしかない。 あくまでも恋愛を主軸に、SFやファンタジー的要素は他作品との差別化のためのスパイス、との方向性ならともかく、時間移動ギミックこそが、世界観やストーリーの根幹となっている本作において、こうしたSF的考証の無さ加減は、致命的な欠陥だ。 最初にあったヒロインと次にあったヒロインが別物だった、とのアイディアは面白いが、それを最優先させるために、後から後から説明を重ねて辻褄を合わせようとすればする程、却って矛盾が増えていき、結局破綻しきってしまうのでは、本末転倒にすぎる。 そして、映画としてのクライマックスは災害場面で終わっているのに、辻褄を合わせるための説明だけに、そこから更に何十分も時間をかけてしまうのは、あまりに蛇足であり冗長でしかない。特に同じ場面を繰り返すくだりに、繰り返しを使いすぎているのは説明過多であり、ダレを生んでいるだけでなく、おかしいぞと考える猶予を観客に与えてしまっている。 そうした、よく考えなくてもおかしいと気づいてしまう矛盾を無くす努力をしないのなら、終盤に時間をかけて説明した事全てが、余計な蛇足でしかなくなってしまう。そもそもアンドロイドをサイボーグと呼称しておかしいと思わない時点で、SFに対する意識があまりに低すぎ、クリエイターとして題材に真摯に向き合っているとは思えず、適当な思い込みだけで適当に作っていると瞭然なのだが。それでちゃんとした作品が作れるわけがないし、プロの仕事とはとても言えるものではない。脚本的には0点だ。 髪型からスーツまで、明らかに攻殻機動隊の草薙素子を意識したスタイリングが、見事に実写化に成功し嵌っている様、およびマネキンに扮し難を逃れる様などで、作りものめいた美しさを生身が備えている、希有なビジュアルを殊更に印象づけ、その印象が、平服時に見せる"ロボット演技"にて引きずられて、どう見ても綾瀬はるかなのにアンドロイドにしか見えなくなる、有無を言わさぬ説得力を生じさせている。 これは、まばたきを含めた表情の固定に代表される"ロボット演技"を的確に表現出来た、彼女の理解と努力によるものと、監督の思い入れや煩悩が如実に視覚化されたかのごとき、彼女の魅力を最大限以上に捉えきった映像演出によるもの。とにかく綾瀬はるかを文字通り"鑑賞"して楽しむには、これまでにない最上のPVと言える。 災害シーンに代表される特撮映像も、日本映画としては充分に水準を超えるものであり、クライマックスとしての見応えは存分にある。リアリティとしてはどうなのかという現象表現が多用されるものの、高台から見下ろす遠景にて大規模な崩壊を描く映像にて、まず客観的な全体像を掴ませ、次いでその渦中に入っていき、人間目線を用いて同じくビルが崩壊する様を表現する事で、迫力と臨場感を表現。これにより、観客が現実に報道等で目にするビジョンと重ね合わせ、破壊を体感させる狙いが果たされている。 出て来た瞬間に全部持っていってしまう吉高由里子の存在感が凄まじい。一瞬映るだけでわかってしまう六平直政も流石。 1835年にフランス・ノルマンディの農村で起こった、長男が自分の家族を殺害した猟奇事件を、1973年に作家ミッシェル・フーコーがノンフィクション本『ピエール・リヴィエールの犯罪』として出版。それを映画監督ルネ・アリオが、実際に事件が起こった場所をロケ地に、その地の住人を出演者に製作した映画『私ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』の撮影現場に助監督として参加していた、現在はドキュメンタリー作家として知られるニコラ・フィリベールによる、現在の映画出演者への回顧インタビューを中心とした、ドキュメント映画。 映画はいきなり、ブタの出産シーンから始まる。母ブタの性器からひり出される新生児を真っ向から捉えた映像は、グロテスクだが"生命"に迫る視点に引き込まれる。仮死状態となった新生児ブタを、何とかして蘇生させようと懸命な作業を、荒々しく且つ繊細な、生々しいアップで見せられる長回しも、目が離せない。 続いて、仔ブタの牙をニッパーで切除する痛々しい作業と、我先にと母ブタの乳首に吸い付く授乳シーンの、双方から与えられる感情のギャップ、生命に対する矛盾とも言える光景に、大いに期待させられる事となる。 この豚が生まれてから屠殺解体されるまでの行程と、リンゴが収穫されて加工される行程を、"映画"にまつわる本筋の合間に挿入して構成されているが、この"農業"パート、どう見ても『いのちの食べかた』を意識したものであり、ドキュメント作家としての、他人が作った傑作に対する自意識が感じられて興味深い。 限りなくシステマチックに効率化された様を見せる『いのちの』と、昔ながらの手作業をメインとし、生々しさ、痛々しさ、汚なさを主眼に、"生命"の"始まりと終わり"を見せつける本作の手法は、全く正対するものであり、これは過去の事件と過去の映画を題材とした本作の、対象に対するアプローチが如実に投影されたものだ。 何よりも、お題となっている映画『私ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』は、最近になってイベントで一回だけ上映された以外、日本で公開もソフト化もされていない、未知の作品なのだ。 本作の有りようは、忘れられていく過去に対する想いを、あらためて再認識させる事も、狙いの一つとなっている。だが、忘れるどころか最初から知りもしないのだから、その狙いを捉える事は困難である。 これでは、映画本編ではなく、オマケについてくる特典映像だけを先に見せられている状態でしかない。そもそも映画本編を観ない事には、特典映像に興味が持てるわけもない。いや、本編は一体どんな映画なんだろうか、観てみたい、との興味を得る事は可能だ。だがそれだけのために、二時間近い時間を、金を払ってまで使い潰す意義は、本作には全くない。というかオマケのみで金を取るな。 知らない映画の出演者の同窓会の、画面の中で内輪で盛り上がっている様を客観的に眺めさせられて、一体何が楽しいというのか。まるで知らない人ばかりが列席している、赤の他人の結婚式ビデオでも見させられているかのごとき、拷問でしかない。 当時の主演俳優の消息を追う、とのストーリーが中盤から登場するが、そもそも興味を持ててもいないのに、更にいない人を探そうと言われたところで、全く持ってどうでもよすぎ、見つかったところで何の感慨もわかないのは当然だ。映画出演をきっかけに神学に興味を持った、などといわれても、そこまでの魅力が映画にあると、観ていないからわからず、どうにも反応出来るものではない。 現在、全国のミニシアターを巡回中のフィリベール特集の目玉として、本作を上映するからには、配給や劇場は責任を持って、お題の映画『私ピエール・リヴィエールは母と妹と弟を殺害した』をセットで上映するのが、誠実な商売と言うものだろう。一体何を考えて、こんな不完全な興行を企画したのか。 おそらくは"変わりゆくもの"の表現の一つとして見せられる、核廃棄物処理場建設の反対運動の様にしても、では他の場所に立てられるのは構わないのか。自分達さえ安心出来れば、他の土地の人達が嫌な気になるのは構わないのか。そもそもこんな施設自体が不用になる様な、ライフスタイルや国家・地方行政のあり方を積極的に変えようとは思わないのか。などと、ただ「嫌だ、嫌だ」と対案のない拒否ばかりを繰り返す幼稚なエゴイズムしか感じられない。映画同窓会と同じく、内向きで後ろ向きな内輪受けにウンザリするのみ。 同じく"消えゆくもの"として用意されている、映画フィルムライブラリーにおいても、「危機に陥っている」と言うから廃棄でもされるのかと思いきや、デジタルアーカイブ化されて映像は残るのだから、それでいいではないか。大切なのはハードではなくソフトだろう。これもまた、自分の価値観に固執する、老人のワガママな執着でしかなく、内向きで後ろ向きな内輪受けだ。 父への思いをも主題の一つとし、ラストカットが父親が映っているフィルムとなった時点で、映画の構造としては奇麗に一つにまとまってはいるが、結局のところ、監督個人の独りよがりなコダワリによる、内向きで後ろ向きな内輪受けでしかないと確定されたのだから、マスターベーション極まれりである。 ただし、事件の犯人、ピエールが遺したとされる手記の実物、ページ内にギッシリと詰め込まれた文字の羅列からは、本物のキチガイが放つ狂気が感じられ興味深い。その手記とブタの生涯だけは、ドキュメントならではの見どころとして、辛うじて成立していると言える。だがそれだけを頼りに、他の退屈な時間を耐えるのは、あまりに辛すぎるというもの。 |
[ 502] Amazon.co.jp: ひとり誰にも看取られず 激増する孤独死とその防止策: NHKスペシャル取材班&佐々木とく子: 本
[引用サイト] http://www.amazon.co.jp/a?2a?¨a??ea°a?≪a??c??a??a??a??a??-a?�a¢?a??a??a-?c?¬a-≫a?¨a??a?Re?2a-¢c-?-NHKa?1a??a?・a?£a?≪a??a??c?--a??a�?a?¨a?¨a??a-?/dp/448407219X
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