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期間とは?/ ノーローン

[ 66] 著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名
[引用サイト]  http://www.aozora.gr.jp/shomei/

青空文庫では、夏目漱石や、芥川竜之介、太宰治などの作品を、誰でも自由に読むことができます。この「自由」は、作品を保護する期間を作者の死後50年までとし、そこから先は制限をゆるめて、利用を積極的に促そうと決めている、著作権制度のたまものです。すでにあるものをもとに、新しい作品を仕立てたり、翻訳したりする「自由」、演奏や上演などの「自由」も、著作権が切れた後は、広く認められます。
この保護期間を、死後70年に延長しようとする検討が、一部の権利者団体と、米政府の要求を受けて始まりました。私たちすべてにとっての「自由」を、古い側にもう20年分追いやり、せばめてしまう延長に、青空文庫は反対します。その意志をはっきりと示すために、「著作権保護期間の延長を行わないよう求める請願署名」を進めます。
翌2006年1月1日の、「全書籍電子化計画と著作権保護期間の行方」でも、欧米を中心とした、さまざまな電子図書館計画の進捗状況を踏まえながら、延長のもたらすマイナスを訴えました。
いずれも長めの記事ですが、読んでもらえれば、なぜ「延長には反対」と考えるに至ったかを追ってもらえます。
これに対し、11月8日には、著作者やアーティスト、図書館、電子アーカイブの関係者、研究者、法律家などが発起人となった、「著作権保護期間の延長問題を考える国民会議(後に、「フォーラム」と改称。)」が、「国民的議論を尽くさずに保護期間延長を決定しないよう」求める要望書を、同じく文化庁に提出しました。
フォーラムのウェッブページには、「延長」「反対」それぞれの立場からの主張や、この問題に関する参考情報がまとめられています。
加えて、「延長に反対」の思いが確かに胸に育ったのなら、その考えをはっきり示すことも必要と考えて、私たちは署名活動を行うことを決めました。
日本国憲法は、第16条で、「法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利」を認めています。
インターネットの電子図書館、青空文庫では、延べ680名をこえるボランティアが用意した、6300あまりの著作権保護期間を過ぎた作品が公開されています。1997年から、この仕組みを育て、使っていく中で、私たちは、著作物を利用する新しい可能性が開けたことを痛感してきました。
電子化は、収蔵と配布のコストを大幅に下げ、世界中のどこからでも利用できる図書館型の施設を、費用をかけずに整えて維持する道を開きました。さまざまな機器による、さまざまな「読み方」も可能になりました。作品を音声に変換することで、視覚障害といった、読むことの困難を抱える人たちにも味わってもらえるようになりました。
保護をある時点で終え、そこからは積極的に利用を促して、文化の発展につなげようとする著作権制度の考え方は、インターネットを得て、大きな力を発揮し始めたのです。
作者の存命中に加えて、死後も50年まで保護する従来の設定を守っても、創作活動の支援の水準は、変わらず保てます。一方これを維持すれば、今後は、作品の利用をいっそう促せます。青空文庫だけではありません。音楽、美術、映画などのさまざまな領域で、文化を分かちあう新しい仕組みが、成果を上げていくでしょう。
一部の権利者団体と米政府が求める、死後70年への延長を行えば、誰もが自由に利用できる作品は、さらに20年分、古いものに限られます。翻案や翻訳が制約され、上演や演奏の機会がへって、死蔵作品がふえかねません。
個人の創造力は、生物的な死によって失われることを踏まえれば、死後の保護期間をこれ以上延ばしたとしても、創作に、より手厚い支援を与えられるかは疑問です。
まず、あなたご自身の署名をお願いします。(すでに第一期に署名していただいた方も、第二期にはあらためて、書いていただけます。)
1枚の署名用紙には、できるだけ5人分の署名を集めてください。(むつかしければ、5人分に満たなくてもかまいません。)
図の要領で折り畳み、三方をセロハンテープでとめ、切手を貼って送ってください。(セロハンテープは隙間なく貼っていただく必要はありません。むしろ多少のあきがあった方が、解体が容易です。)
著作権の保護期間を、死後50年までとする著作権法の規定が、現在の青空文庫を支えていることを伝えてください。
著作権が50年で切れる仕組みとインターネットの組み合わせを生かそうとしているのは、青空文庫だけではありません。
国立国会図書館は、著作権が切れた作品を中心に、明治、大正期の書籍、14万3000冊の画像を、近代デジタルライブラリーで公開しています。
映画や音楽などの領域でも、著作権の切れた作品を自由に利用できるようにする試みは、成果を上げていくでしょう。
保護期間の延長は、こうした文化共有の青空全体に、厚い雲をかけることに思いをはせ、そのことを伝えてください。
蒲松齢のまとめた、中国、清代の怪異短篇小説集「聊斎志異」からは、太宰治の「清貧譚」や「竹青」、芥川竜之介の「酒虫」をはじめ、数多くの作品が生まれています。
創作を支援する上で、保護は有効な手段ですが、その期間を作者の死後70年まで延ばすことには、社会全体による文化の産物の活用を、むつかしくするという側面もあることに心を寄せてください。
用紙を郵送して署名をお願いする際、私たちが使っている依頼書をここに置いておきます。(Word形式です。使えそうなら、適当にアレンジしてどうぞ。)
自分のホームページや、ブログをもっている方には、機会をみつけて、青空文庫と延長反対署名への言及をお願いします。
「ページを開いたとき、真っ先に目に飛び込んでくるところで意志表示しよう」という狙いから、新しく作られたものです。
しばしば権利保護にかたよりがちな著作権を巡る政策決定の場で、川内議員は、「文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与する」という著作権法の目的を踏まえて、利用の意義を重視する立場から提言を続けてこられました。
※青空文庫はこれまで、寄付を求めてきませんでした。今回の署名活動にあたっても、金銭面での支援は、お願いせずにおこうと考えています。

 

[ 67] aozora blog: 青空の行方/なにゆえの著作権保護期間70年延長か
[引用サイト]  http://www.siesta.co.jp/aozora/archives/001717.html

法改正の準備にあたっている文化庁著作権課は、改正案の、2006年度国会提出を念頭に置いているようです。
もしこのタイミングで制度が改められれば、数年ののちからその後20年間、新しく著作権切れを迎える作家が生まれなくなります。
保護期間を過ぎた著作物を、インターネット経由で、誰もが容易に利用できるようにする、「青空拡張」の試み全体の明日が、曇るでしょう。
著作権法の所管官庁である文化庁は、2004年8月、関連団体に、制度のどこをどう変えて欲しいか、意見をつのりました。
保護期間の延長について触れた、もしくは触れたと思われる72のコメントをみると、延長を求めている諸団体に、その資格があるのかを問う、検討材料を示すものが1件、保護期間の50年、70年併用を支持するものが1件あった他はすべて、明確に反対、もしくは慎重であるべきとして、延長を支持しない意見でした。(下記URL、「著作権法改正要望事項に対する意見募集の結果について」の「【5.保護期間】関連」を参照。)
欧米諸国において著作者の権利の保護期間が著作者の死後70年までとされている世界的趨勢等を踏まえて、著作者の権利を著作者の死後50年から70年に延長すること等に関して検討する。
JASRAC の要望を表だった出発点として、法改正につながる可能性の高い「検討解題(案)」に保護期間の延長が盛り込まれるに至ったのが、ここまでの動きです。
その後、法制問題小委員会での論議に並行して、個別課題の検討に当たるワーキングチームが複数設けられ、2005年2月以降、「著作権法に係る検討事項」にそって、法改正に向けた、本格的な検討が進められて行きます。
法改正の時期に関する文化庁の想定は、第四回小委員会における吉川晃著作権課長の、以下の発言から読みとれます。
まず、1年程度の検討で法改正が適当であるとの結論が出たものにつきましては、平成18年の通常国会に改正法案として提出することを考えていきたいと存じます。また、更に時間のかかる事項もこの中に含まれていると思います。それらにつきましては、ある程度改正事項を取りまとめまして、順次取り組んでいくということになると思います。できるだけ多くをまとめて改正ということを考えていきたいと存じます。
▼「「著作権法改正要望事項」に対する意見募集」に寄せられたコメントが、どう扱われるかを「見届ける」サイトです。
▼アメリカの著作権保護期間延長法に対するローレンス・レッシグの批判と、同法が最高裁で合憲とされたことを受けた対抗措置等を、ittousaiさんのページで参照できます。
▼著作権、著作隣接権の見直しに関する欧州委員会の報告書は、著作隣接権の延長に歯止めをかけた点で注目されます。
▼私、富田倫生は、保護期間の70年延長に反対します。この意思を示すために、自分のページに延長反対のバナーをはり、意見募集へのコメントを重ねて掲載しました。
私のような人間には特に痛手ではありません。というのも、大正以後の作品にはたいして興味がないからです。それに新しいものは紙の本で読めばいいですからね。
ところが江戸時代とかになると、なかなか図書館にもないわけで、こういうのを鮮明な画像でどんどん読めるようになったらいいなあと思います。
著作権保護というのは何となく社会の流れのようで、管理がきつくなっている最近の風潮のいっかんかもしれません。政治や法律のことにはあまり詳しくないので、よくわかりませんが。
著作権保護期間70年延長で公開不可能な、現在青空文庫作業中の作家のリストを掲げます。自らの趣味のみで、「関係あるなし」を表明される御仁もおられるようですので、思いっきり当方の趣向と期待感です。
文化庁に対して、著作権保護期間の延長を求めた団体の多くが、欧米ではすでに70年に延長されており、日本も足並みをそろえる必要があるのだと主張しています。
アメリカで、「ミッキーマウス保護法」と揶揄される法律です。つまり、ディズニーが著作権延長運動の旗頭なんですね。
ディズニーがミッキーマウスを独占するために、その著作権が切れそうになると、著作権法を改正運動をして、年度をのばしてきたという経緯があるんだそうです。以前この法律は14年だったそうで、この14年という時間は、著作者とその家族の生活を考えての時間だったそうです。著作者死後著作権も消滅するという意見もあれば、著作者存命中にも、作品が作られて一定期間の後には著作権が消滅するという意見もあるそうですが、一応現在では、著作者の生活権を考えて、また遺族の生活権を考えて、著作者死後一定期間の著作権の保持というものを唄っていると言うところでしょうか。
ただ、それを考えたとき、既に50年は限界であると思います。著作者の死後、その配偶者が、50年間著作権から発生する利益を必要とするのか、例え子供であっても、50年あれば十分ではないのか(子供は自分で食べていけというなら、50年も必要ないかも)ではなぜ延長するのか。
現在、著作権の延長によってもっとも利益を得るのは、著作者及びその家族ではなく、企業だと思います。その著作物を利用して営業する企業です。そしてその営業によって得た利益が、少なくともその利益に見合った額を著作者もしくは家族に還元されるならいざ知らず、現実にはそうでもありません。
著作権法の保護は、既に、著作者ではなく、それを得て暴利をむさぼる企業のためにあると言っていいでしょう。
当初、著作物は、その著作権を認められていなかったと言います。それは、芸術は常に模倣の上に成り立ち、先人の作品の模倣から生まれるという理論からなされていたと言います。つまり全ての作品は先人の模倣から成り、全ての作品は個人の著作権を認めるには値しないと言うことです。逆に言えば、全ての作品は人類全員の財産と言うことです。
ただ、それでは、制作者の意欲がわかず、また、才能ある作家達の生活が保障されないので、その折衷案として考え出されたのが著作権法であると思います。
出版界の現状を見ても、また他の芸術の現場を見ても、とかく作家さんは、自らの権利に疎く、それを巻き上げた企業だけが儲かっています。
著作権保護期間70年延長で公開不可能な、現在青空文庫作業中の作家のリストを掲げます。自らの趣味のみで、「関係あるなし」を表明される御仁もおられるようですので、思いっきり当方の趣向と期待感です。
青空に、言論の自由はあるのですね。私が何か言うと、すぐに自分の価値観の強制だとか、趣味の押しつけだとか、わめく人がいますが、まるで、言論の自由の抹殺です。
怒らないでね。起こらないからしようがない。そうおこらなくても。坂口安吾、?????。あんなもの何処がいいの。本居宣長か、平田篤胤を読みなさいよ。すばらしいですよ。
明治以降、日本人の魂はふやけっぱなし。青空は100年以下のものは公開しないという、それぐらいであってほしい。
>青空に、言論の自由はあるのですね。私が何か言うと、すぐに自分の価値観の強制だとか、趣味の押しつけだとか、わめく人がいますが、まるで、言論の自由の抹殺です。
でもって、このスレッドでの当方の「一言」で、大同団結すべき点が「荒れ」てしまうのも危惧いたしますので、別サイトを用意しました。ここでの blog のように、下部のコメントからご自由に意見を述べることができます。Wiki ですので、まるごとも編集できます。許容できる表現もできるだけ寛大にしようと思います。思うところがあれば、「ゼファー生」をクリックすれば該当サイトに飛びますので、お待ちしています。
>青空に、言論の自由はあるのですね。私が何か言うと、すぐに自分の価値観の強制だとか、趣味の押しつけだとか、わめく人がいますが、まるで、言論の自由の抹殺です。
どこが正々堂々ですか。にやにや笑ってひとをおちょくってるだけなのが、正々堂々と言えますか。だいたい自分の考えなんかどこにもないじゃないですか。
あんたのやってるようなことが批判といえるのか。ただ他人を侮辱してるだけじゃないか(つまり抹殺、相手の考えをねじ曲げて、有りもしないことをでっちあげて、いかにもその人物が言ったように見せかけ、徹底的に侮辱する、これが抹殺でなくて何か、)。そして他人の尻馬に乗って、外野でわめいてるだけじゃないか。
愚論だなんておまえが考えてるだけじゃないか。青空のやってること自体が、愚にもつかない児戯に類することだというのが、あなたがたには理解できないのだ。だからちょっと痛いところをつかれると、侮辱しまくるのだ。ころころ名前を変えないで、誰かわかるような名前で言えよ。だからおまえ達は、弱虫の卑怯者の、井の中の蛙だというんだ。
あのTというのは、本を読まないことを自慢しているのだが、よくまあそれで、本が出せるものだ。あのTというのは本当に教養がない。本を読まないからだ。50代にもなって本を読まないのを自慢するとは、哀れなものよ。
>あんたのやってるようなことが批判といえるのか。ただ他人を侮辱してるだけじゃないか(つまり抹殺、相手の考えをねじ曲げて、有りもしないことをでっちあげて、いかにもその人物が言ったように見せかけ、徹底的に侮辱する、これが抹殺でなくて何か、)。
>愚論だなんておまえが考えてるだけじゃないか。青空のやってること自体が、愚にもつかない児戯に類することだというのが、あなたがたには理解できないのだ。だからちょっと痛いところをつかれると、侮辱しまくるのだ。ころころ名前を変えないで、誰かわかるような名前で言えよ。だからおまえ達は、弱虫の卑怯者の、井の中の蛙だというんだ。
これまた、えええー? あなたが(いつどこで)「痛いところをつ」く発言をしたんですか? 別のところで書いたんですかね。
ところで、私は関係者でも常連でもないので「ころころ名前を変え」たとか「おまえ達」と呼ばれる覚えが全くありません。
だから、私に怒るのはともかく、「弱虫の卑怯者の、井の中の蛙」なんて「侮辱しまく」ったり、主催者とかに八つ当りしたりするのはやめようね。
>あのTというのは、本を読まないことを自慢しているのだが、よくまあそれで、本が出せるものだ。あのTというのは本当に教養がない。本を読まないからだ。50代にもなって本を読まないのを自慢するとは、哀れなものよ。
「あんたのやってるようなことが批判といえるのか。ただ他人を侮辱してるだけじゃないか(つまり抹殺、相手の考えをねじ曲げて、有りもしないことをでっちあげて、いかにもその人物が言ったように見せかけ、徹底的に侮辱する、これが抹殺でなくて何か、)。そして他人の尻馬に乗って、外野でわめいてるだけじゃないか。」
「にやにや笑ってひとをおちょくってるだけなのが、正々堂々と言えますか。だいたい自分の考えなんかどこにもないじゃないですか。」
暴論を吐けば、現状では「著作権のみで生計を立てている一部の団体の利益追求の為のもの」になっている感じはありますね。
とは言う、そんな団体も「『著作権の切れた』名前の知られた作品で利益を上げようとしている」部分もあるみたいですから、『何の為の著作権?』と言う風に感じる部分もあります。
まぁ、「リメイク作品ならある程度の売上を期待出来るので、リスクを負わずに済む」と言う姿勢は、特にバブル経済崩壊直後から数えるのが嫌になる位に(特に某国の映画)では見られる現象ですが。
最近は、一部の作り手の方で、著作権に関しての色々と不満の意見表明があるようですが、そんな姿勢に便乗して一部団体が営利をむさぼっている感じも。
しかし、著作物と言うのが曲者で、扱うところがなければただの紙くずになってしまう。もっと考えれば、買ってくれる人がいなければ何もなくなってしまう些細な弱いものだと感じています。
保護ばかりで、忘れ去られる著作物だらけになることは、著作者にとってあまり耐えられるものではありません。それが一部の既得権益を守りたい団体の主張だとすればなおさらです。
今、ロングヒットと呼ばれる楽曲がなくなってしまったのはなぜか、JASRACは良く考えるべきです。あまりにも、権益保護に偏ってしまったために、耳に触れる機会が著しく制限されてしまったためのように私には思えます。
そもそも、死後50年も経ってしまったら、多くの著作物はその印税の支払い先など、誰も管理できなくなってしまっていることでしょう。潤うのは、印税の支払い先がなくなった著作権管理団体だけでしょう。
適正な著作権管理ができないのなら、著者が死んで直ぐにでも著作物は縛りをとかれた方が社会の利益になるだろうと私は思っています。
51年以上に延長したい場合、著作権継承者(利用者ではない)が一定の手数料を払って延長手続きを行うことで延長できるようにする。もし、著作権の継承者が分からなくなっているような場合には、これを財産として保有している人がいないわけだからその場合には著作権をオープンにする。
現状では「著作者の没年不詳」で著作権の状態が不明になっている著作物も多数ありますから、その部分をなんとかしたいですね。
流れをさらーっと見ていると、世界の流れとか言うよりもココの産物を利用して某均一ショップが製本販売している状態にある団体が「営業妨害だ!」とクレームをつけたいと思ったのが事の発端では?と感じる部分もありますが。(^^;
しかし、著作権自体は大切で、コピーを前提にしたレンタル商法等には反対です。本当に気に入った曲ならきちんと購入すべきでしょう。
「じゃあ、私も、延長反対の意見をまとめよう。」と、そう思ったのですが、「知的財産推進計画」というやつが、そもそもわからない。
そのせいか、計画の見直しに対する意見に、どんなふうに延長反対を盛り込めばいいのかも、どうもピンとこない。
きちんと整理できていませんが、「一つでも多くの声が寄せられますように」との願いをこめて、この段階で、はりだしておきます。
意見を提出するにあたっては、一度に、自分の主張のすべてをまとめることはなく、要素ごとにわけて出しても、良いようです。
これに加えるこれからの産業の柱として、技術・デザイン、ブランドや音楽・映画等のコンテンツといった価値ある「情報づくり」を押し出していこう。
「第二十三条 6 知的財産戦略本部は(中略)少なくとも毎年度一回、推進計画に検討を加え、必要があると認めるときには、これを変更しなければならない。」
この意見募集は、「「2004」の見直しにあたり新たに盛り込むべき政策事項について、国民の皆様からも幅広くご意見を募集したい」との仕立てとなっています。
もう一方、意見を募集する側の仕切りにのって、「これこれの政策を新たに盛り込んでほしい。ついては、その妨げとなる著作権保護期間の延長は行わないでほしい。」といった書きもありそうです。
以下、後者を選択した場合、「盛り込むべき政策事項」としてどんなものがありそうかに関するメモをまとめます。(ここから「である」調で。)
「「知的財産立国」とは、一部の知的財産に関係する人々の営みによってのみ実現されるものではなく、知的財産によって得られる果実を万人が享受し、そしてその恩恵に啓発されて、万人による知的財産の創造活動が始まる流れの中で実現されるものである。」
各種デジタル・アーカイブの育成、強化提案を「盛り込むべき政策事項」として提案していくことは、説得力を持つと思う。
「2004年度中に、教育、文化や芸術分野における知的資産の電子的な保存や活用など(デジタルアーカイブ化)に必要なソフトウェア技術基盤の構築のための研究開発を開始する。 (文部科学省)」
i) 「地域におけるデジタルコンテンツの制作や流通等の取組を促進するため、2004年度についても地域の映像番組を制作、放送するケーブルテレビの番組制作施設等の整備を支援するとともに、地域映像コンテンツのアーカイブ化におけるケーブルテレビの役割について課題を整理、分析の上、必要な支援を検討する。また、2004年度に、全国的に先進的な事例の収集や分析を行い、地元自治体との連携など自主制作番組の充実策について、行政、関係業界、自治体等による支援の体制構築について検討する。 (総務省)」
ii) 「地域における伝統・文化デジタルアーカイブの拡充やネットワークの利活用を推進するとともに、2004年度も引き続き、地域におけるデジタルコンテンツの制作や流通等の促進方策について検討を行う。 (総務省、文部科学省、経済産業省)」
同プロジェクトにおける、「公開に向けた作業の加速。/現在の「明治期」から、「大正期」「昭和期」へと対象範囲を拡張すること。/テキスト化の検討。」等が、追加すべき政策事項となりうる。
2 テキスト形式による、書籍デジタル・アーカイブについての言及が、「2004」にはない。青空文庫が進めている類の作業を行政の責任において進めるよう求めることは、追加すべき政策事項となりうる。
「映像コンテンツ制作の環境整備を一層促進するため、フィルムセンターにおける映像コンテンツの保存機能、普及や上映機能の充実を図るとともに、新たに人材養成機能や製作支援機能を付加することについて引き続き検討を行い、2004年度中に結論を得る。 (文部科学省)」
NHKアーカイブスが保有する映像資料のデジタル化とインターネット公開を支援することは、追加すべき政策事項となりうる。
過去の文化的な蓄積を、万人がよりたやすく享受できるよう仕立てる、インターネットによるアクセス可能なデジタル・アーカイブは、「知的財産立国」にとっての必要不可欠な社会基盤である。
こうした仕組みを得て、この社会に暮らす者のより多くが「知財」によって啓発されれば、創造活動の底上げが期待できる。
現行、作者の死後50年までの著作権保護期間をさらに延長すれば、「知的財産立国」の屋台骨を形成するだろう、デジタル・アーカイブに自由に収録できる作品を、より古い時期の物に限定し、その可能性を制約することになる。
しかし、「知財社会」の機軸として期待できる、デジタル・アーカイブの可能性を制約するという点を考慮すれば、著作権の保護期間の延長にはきわめて慎重であることが求められる。
本項目は、削除するか、削除に踏み切れない場合は「デジタル・アーカイブ拡充の重要性を十分考慮して、著作権保護期間の延長には、慎重であるべき」と書き加えることが求められる。
と、デジタル・アーカイブに関する政策提案から、保護期間延長への反対に結びつけていく話の流れは、説得力を持ちうるのではないか。
政策提案から、保護期間延長への反対へと導く流れの中には位置づけられないが、「保護期間延長」には、新しい創作活動を抑えこむ性格があることを示す論理構成も、説得力をもちうる。
「著作者は、その著作物を翻訳し、編曲し、若しくは変形し、又は脚色し、映画化し、その他翻案する権利を専有する。」
保護期間を70年に延長すれば、過去の著作物を翻案して、新しい作品を生み出しうる時期が、20年後に先延ばしされることになる。
「著作権者不明等により著作物の利用許諾契約が締結できない場合に、「著作物の裁定制度」を円滑に利用できるよう、手続きの見直しを行い、その利用マニュアルを2004年度中に整備し、公表する。」
埋もれた作品、古い作品の利用を検討する際、まず、最初に行うことになるのは、保護期間内にあるか否かを知るための、作者の没年確認である。
「公正な利用」を促進する意味では、文化庁著作権課が、出版物などに作品を残した著作者の没年をまとめたデータベースを作成し、インターネットを通じて公開することがきわめて大きな役割を演じる。
特に、第二次世界大戦における連合国の著作者に関しては、戦時加算分の保護期間の上乗せがある。これを加えて、当該著作者の権利がいつ切れるのかを、著作権課が明示することの意義は大きい。
文化庁著作権課による、「著作権切れ」資料の整備と電子化、インターネットを通じた公開は、追加すべき政策事項となりうる。
2 無名又は変名の著作物の保護期間は、公表後50年までに限られる。ただし、この保護期間中に、実名の登録があった際は、通常通り、作者の死後50年まで保護される。
無名又は変名の著作物を利用しようとする際は、たとえ公表後50年を過ぎていたとしても、実名登録が行われていないことを確認しなければならない。
ところが、著作権課では、実名登録に関する資料が書類の束としてしか保存されておらず、確認に際しては、著作権課まで出向いて、長時間をかけて一頁ずつ開いて行くしかない。
文化庁著作権課による、「実名登録」資料の整備と電子化、インターネットを通じた公開は、追加すべき政策事項となりうる。
50年も経過すると、作品自身が書籍の形ですら入手できなくなる可能性だって大です。それは後世の人間にとって文化的損失じゃないでしょうか。
表現者であったら、むしろ万人に読んでもらいたいはず。ただ、生きている間は、本人に経済生活もあるし、遺族にもいくらか「財産」として残したいでしょう。だから、著作権が死後も多少残存するのは理解できます。しかし、70年なんて、「欧米の潮流」だからって、安易に受け入れられるものではありません。文化保護というよりは、政治的なウラがありそうだし。
いま思いついたのは、著者の死後には「著作権」を売買可能な財物とし、資産として相続したい遺族には相続税、所有者には「毎年著作権所有税」を払ってもらうことです。
税を払っても保有したいなら、それだけ「売れる」著作なのでしょうから、市場からなくなってしまう「文化的損失」はない。逆にあまり「売れない」なら、保有者も維持費を負担する気にならず、著作権を放棄してくれる。
売価は、著作権管理のための公益法人でも作って、査定させればいい(「著作そのものの価値」ではなく、それまでの市場価値を判定するだけ)。
「若者の活字離れ」なんかを心配してるなら、もっと若者が容易に過去の名作に触れられる環境を作ってやれよ、大人ども。どうせ自分らが大して活字なんか好きじゃないんだろうね。
日本はベルヌ条約という国際著作権条約に加盟しているので、著作者の死後も著作権は50年は守らないといけないのです。
私は歴史学(近現代史)の研究者ですが、図書館での研究のための資料集めに著作権法が障碍になっています。たとえば高価な資料集のなかにある掲載資料を一点コピーしようとしても、著者没後50年が経過していなければ資料の半分しかコピー出来ません。見開き2頁の分量の資料だと、コピーそのものを拒否されます。また、無名の人が書いた資料の場合、その方が死去されているか否かすら分からないので悲惨です。同資料が書かれたのは著者が十代のときで、その人はギネスブック並の長寿で亡くなったという計算になってしまうようなわけ。著作権保護が没後70年なんて、ぞっとします。少なくとも、歴史研究にはマイナスでしかありません。ま、昔に戻って、筆写せよということですかね。
独断と偏見で書かせていただきますが、恐らく日本の出版業界からの圧力ですかね?出版業界は、少し異常ですね。日本の構造改革はまず、出版・マスコミ業界からですよね。日本をこんなにおかしくしたのは出版・マスコミ業界と思います。
しかし、著作者の家族・関係者等の利益に配慮しても死後50年も保護すれば十分すぎるのではないでしょうか?
活字離れが叫ばれる中、手軽に過去の名作などが読める青空文庫はすばらしいと思います。保護期間の延長により掲載できなくなる作品が出るとしたら残念です。
しかし、著作者の家族・関係者等の利益に配慮しても死後50年も保護すれば十分すぎるのではないでしょうか?
活字離れが叫ばれる中、手軽に過去の名作などが読める青空文庫はすばらしいと思います。保護期間の延長により掲載できなくなる作品が出るとしたら残念です。
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