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フリーターとは?/ ノーローン

[ 774] 既卒、フリーター、ニート、就職への道
[引用サイト]  http://www.dekirukotokara.com/

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[ 775] 「フリーター漂流」『自動車絶望工場』
[引用サイト]  http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/freeter-hyouryuu.html

フリーターのなかでも、モノづくりの現場での「請負」と呼ばれる種類の労働にしぼって描いたもので、監督官庁もなく法規制も弱い分野であるために、現代の「合法」的世界のなかでももっとも苛酷な搾取がおこなわれている分野の一つだ。
ある工場で人がほしい。そのとき、工場をもっている発注元の企業は、業務請負会社にたのむ。請負会社にはフリーターが大量に雇われており、それらが隊伍をくんで発注元の企業におくりこまれる。
派遣とちがうのは、派遣のばあいは、おくりこまれた先の企業が、その労働者を指揮・命令することになるのだが、請負のばあいは、請負会社がまるごと仕事をひきうけ、請負会社の指揮・命令のもとで労働者たちは働くことになるのだ。
最初にでてくるYさん(番組では実名)では、「中卒」という肩書きが彼にとって桎梏になっていることを語った場面が心に残った。彼はアパレル関係で働きたいという夢をもつが、かなえられない。どこにいっても「あ、中卒なんだ」といわれることを、平然をよそおいながら、しかし悔しさをにじませながらYさんは話す。
そのこととちょうど対をなすかたちで、請負会社での面接・テストの模様が映る。ここでは学歴や経験はほとんど問われない。細かい手作業ができ、「五体満足」かどうかをチェックされるだけなのだ。
ぼくからみて、本来機械がやるべき工程のような、細かい作業だ(番組ではモデルチェンジが頻繁なために機械化では採算があわないといっていた)。機械にかえて低廉な「ヒト」をもってくることで、逆にコストが下げられるのである。
実は、請負ではカップルで引き受けられている例が多い。日本各地を転々とさせられ、山の中の工場にまるで閉じ込められるように生活するからだ。会社もカップルを歓迎する(この番組のTさん夫婦は少しちがうようなのだが)。
Tさんは、経験も一定あるので現場のリーダーをつとめさせられるのだが、別にリーダー手当がでるわけでもない。リーダーとしての調整をこなしながら、自分のぶんのノルマもこなさねばならず、なんの役得もない。
苛酷なのは、工場側の要求によって、まさに自由自在に、労働内容も、労働場所も、労働条件も、一瞬で変更させられ、それを拒否する自由はまったくないという現状である。
番組では、工場側が急きょそのラインは不要になったといって、まったく別の場所に飛ばす様子が出てくる。冷酷にそれを言い渡す工場側にたいし、請負会社のまとめ役の人間でさえ、「え、これから、ですか。今ですか」などと目を白黒させるのだ。仕事をもらっている請負会社は、それを受け入れるしかない。
そこは、換気扇がひとつまわっているだけで、窓もないただ壁だけの狭い部屋に、数人がおしこめられて作業をしている。しかも、塗装作業の必要上、真っ暗なのである。やはり小さい基板を塗り分けていく細かい作業で、かなりの神経をつかうだろうとみていて思う。
お金をためるどころか切り詰めねばならないといって、呆然とするSさん夫婦。「ひど…」と絶句するそのSさんの妻の呆然としっぷりが、あまりにリアルに映像におさめられていた。
けっきょく、Tさんは、請負の仕事をやめてしまう。仕事の変更はイキナリなくせに、彼が仕事をやめると言い出すと、請負会社側は「2週間前にいわないとだめだろ」とグズる(その後、彼らは工場と直接かけあって夫婦でアルバイトとして直接雇用されるのであるが)。
Hさんもやはり他の業種で求職したがどこにもひっかからなかった。いま自分がいる位置は一番下であり、あとは「上」をみるだけだ、という、決意とも焦躁ともつかぬ言葉が紹介される。
「じっくりと我慢して(働くべきだ)」「そうしているうちに上の人に見初められる」と昔の雇用形態を前提にした説教をくり返す。Hさんが説明してもまったく伝わる様子がない。
こんどは請負会社の社員から、かなりキツい仕事だといわれ、Hさんはできるのかと不安を口にするが、「馴れです。というか、こういうような仕事をHさんするしかないですよね」――“おまえの歳ではえりごのみなんかしている場合じゃないんだぞ”といわれてしまうのである。
通して感じるのは、この働き方を続けていく先に、なにかその人の人生にとって希望があるのか、という絶望にも似たものである。まさに資本の都合によって、時間でくるくると労働内容が変えられたうえ、正社員にも昇進も開ける道がない。必要な金がほしければ体をこわすまで残業する道しかない。
もうひとつは、こうした働かせ方が資本の側の露骨な論理によって生まれているということだ。
請負会社の部長(パウエル似)は「われわれが調整弁となる」と番組でのべる。「われわれ」といっても、そいつが調整弁になるのではなく、体よく調整弁にされているのは若者たちである。「毎日が戦争。一名でも多くタマを送りたい」。若者は兵士ですらない。撃たれるタマだ。
工場の社長は「フリーターのいいところは正社員とちがってそのときどきに対応できること」とのべる。むろん、「対応できる」とはクビをきれる、または配置がえできるという意味でしかない。
そして、大手のメーカーのモノづくりは、このような苛酷な搾取のうえに成り立っている。前半で出てくる工場も大企業の下請である。危険なものは別の会社がやってくれる。大手はそのキレイな上澄みだけをとればいいのだ。
その最大のものは、いまのべたとおり、働き方、そしてその先にみえる人生に希望が見えない、という状況である。山田昌弘は『希望格差社会』(筑摩書房)のなかで、収入の格差がやがて希望の格差へのつながっていくことが「最も深刻」と警鐘をならす。
しかし、それはHさんの父親がのべたように、小さな階梯ではあるけども経済的な希望へとつながっていた。「中学や工業高校を出て企業に入社した若者は、機械の使い方を学びながら、徐々に仕事に習熟し、熟練工から現場責任者、更には、技術者や工場長になるのも夢ではなかった」(山田前掲書)。
渡辺治は1960年代になって「ブルーカラー層でも経験を通じて昇進をくり返せば一応観念上は最上級まで到達しうることになった。八幡製鉄に導入され鉄鋼産業に広がっていった作業長制、そして“青空のみえる昇進制”というスローガンこそ、かかる競争的昇進構造の成立を意味するものであった」(『「豊かな社会」日本の構造』)とのべる。
現象的には、Yさんが中卒であること、Hさんが面接にうからないことなど、「個人の責任」「自己責任」として彼らのうえにふりかかる。山田昌弘は『希望格差社会』のなかで、近代はリスクを低減させる社会だったが、現代のグローバル化のもとではリスク化がすすみ、社会のもたらすひずみが、社会にまとまってではなく、個人の上に確率的にふりかかるようになると指摘する。それゆえに、「自己責任」原則が強調されていくとのべている。
この番組でも、中国などのアジアの企業に対抗するために、徹底したコストダウンをはかる話が出てくるが、このような働かせ方の出現は、まさに大きくはグローバリゼーションにもとづいて起きている。番組でも指摘されたように、それにあわせる形で、政府は働かせ方を「緩和」させた。
山田は、フリーターは不況の産物で景気回復とともに解消されるという見解と、若者はしばられる生き方をきらって好きでフリーターになっているという見解を批判する。「この二つの誤解は、現在職業世界に起こっている変化が『構造的』変動であることを見落としている。……一時的な不況のせいではなく、産業システムの構造変動にこそその理由を求めなくてはならない。……若者に関しては、不安定な職を『選ばざるを得ない』状況に追い込まれている。若者の意識変化は、そのような状況に適応した結果生じたのであって、その逆ではないことを強調しておきたい」(山田前掲書)。
山田は、フリーターを「夢追い型」「やむを得ず型」などとわけることを「あまり意味がな」い、とのべる。「フリーターが、将来の希望がもてる定職に就いていないという事実が重要ではないかと思っている。……フリーターをしながら『自分の理想的仕事や立場』に就くまで待っている状態が、フリーターの真の姿なのである。……いつか、自分の理想の仕事や立場に就けるはず、と思いながら、単純労働者である自分の姿を心理的に正当化するのが、フリーターの抱く夢の本質ではないだろうか」(山田前掲書)。
番組ではTさん夫妻が出てくる。最後に妻も働くように、フリーターのカップルである。山田はこれを「弱者連合」とよぶ。しかし「フリーターという弱者同士で結婚しても、それは、『連合』とはならず、お互いがお互いにとっての『リスク』となってしまうのだ」(山田前掲書)。
「コンベアはゆっくり回っているように見えたが、とんでもない錯覚だった。実際、自分でやってみなければわかるものではない。たちまちのうちに汗まみれ。手順はどうにか覚えたのだが、とても間に合わない。軍手をしているので、小さなボルトを、それも使う数だけ掴み取るだけでも何秒もかかる。うまくいって三台に一台やるのが精一杯。違った種類のミッションが来ると、それは難しくてお手上げ。カバーをはめるのにコツがいるので、新米ではできないのだ。喉はカラカラ。煙草どころか、水も飲めない。トイレなどとてもじゃない。だれがこんな作業システムを考えたのか。息つく暇のないようにギリギリに考えられているのだ」
「働いている以上、どこかに喜びを見つけないではいられない。……ロックに六本のボルトを通し、ナットランナーで締めつける。これは慣れないと、六本のボルトがいっしょに回らない。それがうまくいって、一気に締めるのに成功すると、『やったぁ!』と大きな声で叫ぶ。自分でやっていても、なんの無駄もなく二、三秒で締め終えた時には、小気味いい音をたててボルトがすべり込む。たしかにその時、“充実感”があるのだ。こんな限られた労働の、二、三秒の動作の中にさえ、充実感を感じとらないでは、やっていけないのも事実なのだ」
鎌田は働いている同僚の風貌の描写や、生活のなかでもれてくるつぶやきをとらえ、生活や気分の全体を描き出す。深夜1時の始業前の「さあ、やるか」という労働者のつぶやきさえ、鎌田はそこに「さあ、やろう」ではなく「さあ、また地獄が始まるか」というニュアンスを嗅ぎとるのだ。
自衛隊から流れてくる人間の描写の中にも、貧困のなかでそれらが一つにむすびついているさまを、にじませる。
さらに、そこにトヨタという企業体の全体像や、企業ぐるみ・組合ぐるみの選挙の実相が重なり、ルポは労働の現場から日本の政治経済の全体像に迫っていくのである。
今回、「フリーター漂流」をみて、鎌田のしとげた仕事を、映像によってもまた迫ることのできる可能性をみた。映像は言葉がつたえ切れない、微妙なニュアンスを一瞬で伝えてしまう。父親の言葉に怒りを感じたHさんの瞬間の表情や、仕事をしているときの高い緊張度をもったTさんの顔、給与明細をみて絶望するその妻の気持ち……そうしたものを映像はまことに雄弁に語る。
もし、もっと多くの時間を与えられるのであれば、さらに鋭く、そして広範囲に全体像を明らかにすることができただろうと思う。
「単純反復不熟練労働は、それに従事する労働者を企業から離れ難くさせる。一定の年齢に達し、一定の生活内容を作りそれを支える一定の賃金を受け取ると、もうかれはいまの企業から出れなくなる。その労働がどんなに退屈極まりないものであっても、いまの企業にいるからこそ通用するのであって、他の企業ではもう通用しない。若く、さまざまな可能性を持っている一人の人間が、ひとつの器官だけを激しく使う労働に囲いこまれ、人為的に未発達な人間にされてしまう。何の特長もない、代替可能な、従順な労働力でいる限り、かれには一定の報酬が保証される。かれは閉鎖社会の中で飼い殺しになる」

 

[ 776] 松宮健一『フリーター漂流』
[引用サイト]  http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/freeter-hyouryuu-book.html

35歳、もう後がないという焦燥でいっぱい、なおかつ実直な印象をうけるHさんの運命は、番組のテーマとは別に、個人的な関心を抱かずにはおれない存在だ。
テレビで放映されたとき、Hさんはまるっきり同じような状況で同じ不安を請負会社の人間に投げかけた。そのとき、請負会社の人間は「馴れです。というか、こういうような仕事をHさん、するしかないですよね」と言われるのだ。
松宮は東京・足立区で取材をする。ここは就職内定率が都内最低で、「フリーター養成区」などと言われていた。取材した都立高校でもなんと卒業生の3分の1がフリーターになるという。
「フリーター漂流」というフリーターの苛酷な労働現場の実態をえぐりだす番組をつくった松宮だが、ここで彼は取材した高校生から次のような言葉を聞く。
「フリーター最高ですよね。昼間で寝て、夕方からバイトに言って、友達感覚で楽しく働いて、それでバイトが終わったら、友達を呼んで朝まで遊ぶつもりです。金がほしいときにバイトして、遊びたいときには休む。とりあえずいまが楽しいことがいちばん大事ですね」
「多分、就職はしないと思う。だって学校の求人票にいいのがないんだもん。やりたくない就職先ばっかりで、見ているだけで嫌になっちゃう。でも遊ぶお金はほしいからバイトはすると思うけど。あーずっと高校生のままでいたいな」
しかも「彼らの授業態度にも驚かされた」と松宮は言う。「一時間目から机に顔を沈めて眠り、眠りから覚めると、授業中にも関わらず友達とメールのやりとりをしている。教師が注意してもまったく意に介さない。アルバイトがあるからと言って早退していく生徒もいた」(p.100)などという現状をみせられてしまう。松宮は「共感できなかった」(p.100)という感想をかくさない。
ここから「若者の甘い意識がフリーター化をまねいている」という、ネットや俗世間に掃いて捨てるほどある言説におちこむまであと一歩だ。これに学問的体裁をくわえれば、「雇用のミスマッチ」などという竹中流経済学の概念ができあがるだろう(※本書でもこの概念自体は使っている)。
しかし、松宮がジャーナリストとしてすぐれていると思ったのは、そのような上っつらにだまされることなく、考察を深めていったことだった。松宮は、ある高校生の一人をつっこんで取材している。彼は曳田祥吾という。
曳田は、アパレルの仕事にいきたいから、学校がすすめるプレス加工の仕事などはまっぴらごめんだと考える。そこから出発するのだ。さっき紹介した高校生の「だって学校の求人票にいいのがないんだもん。やりたくない就職先ばっかりで、見ているだけで嫌になっちゃう」という部分を代表している。
正直、先の高校生といい、この曳田という高校生といい、そこに「甘さ」がないとは言わない。しかし、それくらいの「甘さ」は誰にでもあるだろう。えらそうにここで書いているぼくこそ、実は曳田以上に「甘い」だろう。いや、高校生のころのぼく自身をふりかえれば、それこそ消え入りたくなるほどの「甘さ」であり、隙だらけの存在だったと思う。
古い世代は、学校を出ればすぐに「正社員」というコースが用意されていたし、まわりも自分もそのことになんの疑問もいだかぬ価値観のなかで暮らしていた。未熟さを社会がフォローしていた。年金だって会社がやってくれるし、保険だって新入社員めがけてすぐ保険屋がやってきた。年金未加入とか怪我で生活を失うとか、起こりようがない。その時代には未熟さは露呈せずにすんだのだ。
松宮は、高校生の「甘さ」に直にふれるにつけ、「フリーター増加の原因は、生徒たちの意識にあると思った」(p.101)という感想を隠さないのだが、他方で「しかし、取材を重ねていくと、生徒達がフリーターになるもう一つの理由も見えてきた。学校に来る求人の数が大幅に減少していたのである」(同)という問題へすすんでいく。
ひょっとしたら、高校生の「甘さ」をまずグッと前面に出してみるのは、そういうフリーター観の人たちを受け止める、松宮の戦略なのかもしれないな、と思った。
そうした叙述の仕方もふくめて、目の前の「甘え」という現象にまどわざれずに、資本側が正規雇用そのものを削減していることにふみこんでいっていることが、すばらしいと思った(※2)。
ジャーナリズムの視点としてすぐれていると思った第二点目は、これだけすごい対象を取材しながら、問題を典型的に描くうえで取捨選択を厳しくおこなったということだ。
実は、この単行本では、テレビで紹介しきれなかったフリーターの取材が紹介されている。そのどれもがドラマを感じさせるものばかりで、強くひきこまれてしまう。
とりわけぼくがひきこまれたのは、劇団の夢が捨てきれずに貧しいフリーター生活をしている山岡未絵という女性と、中高年フリーターとなった36歳の荒牧晋という男性のケースだ。
山岡のは、彼女を支えようとする両親の思いと、それが断ち切られる悲劇が胸に迫る。荒牧の話も、自身がちょっとしたことで借金をこさえて身動きがとれなくなってしまい、夢が枯れていく様子が読んでいてあまりにつらい。
フリーターが個人的な事情ではなく産業の構造の中にしっかり組み込まれ、使い捨てにされていくという現状を描く上では、「夢追い型」フリーターは、実は複雑な問題が錯綜しすぎている対象だといえる。そこにも不安定雇用や貧困をめぐる状況は反映されているのだが、フリーターが先のない「使い捨て」であるという現状を時間の限られたドキュメントの中で「使う」にはあまりふさわしくないと判断したのだろう。
「フリーターの問題は若者の意識に原因があると、私たち『大人』は考えてきた。しかし、原因はそれだけではなかった。むしろ、大人たちが築いてきた社会システムにこそ大きな原因があった。大人たちは『フリーターはいけない』と否定的に論じる一方で、正社員の採用数を減らし、フリーターを雇い続けてきた。国もこうした企業の動きを本気で止めようとはせず、フリーターを企業に供給するシステムだけが合法的に整えられてきた。この矛盾が若者たちを追いつめていた」(p.201〜202)
※2:直接関係ないが、最近政府が「小泉構造改革で正社員が増えた」というキャンペーンを張っている(2005年の厚労省の毎月勤労統計調査)。しかし、これは実は統計のトリックで、増えたのは正社員ではなく「一般労働者」といって、長時間アルバイトや正社員なみに働くパート、派遣社員をふくめた数字だったのだ。総務省の労働力調査(05年7〜9月期)では正社員数は減少し、不安定雇用は過去最高である。

 

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